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仙人の戯言 2015年

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開会の挨拶

 皆さん、ようこそ。先生方、有難うございます。姫路西高等学校を卒業して、45年になりますか。多くの方が、63才になっておられると思います。63才という年齢は、豊臣秀吉が亡くなった年齢です。僕らが高校生だった頃は、60才と言うのは、もうじじいとばばあだと思っていたのだと思います。しかし、みんな長生きになり、ここに来られている方は、先生方を含めて、皆さんかくしゃくとして、元気そうで何よりです。

 まあ、元気そうで、と言うくらいで、本当は皆さん元気じゃないと言う人も多いかと心配します。僕も、眼がしょぼしょぼし、耳が遠くなり、物忘れが多くなってきたようで困ってます。今の皆さんの課題は、介護と健康でしょうか。今、親の介護に苦労されている人も多いかと思いますし、自分の健康に気を遣っておられる人も多いでしょう。だいたいが、この年齢になると、話題はこのようなことになります。

 孔子が言っています。吾十有五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして己の欲するところに従えども矩を越えず、と。孔子は、70過ぎまで生きていたようですね。しかし、今は70、80などひよっこで、90才でもまだ足りず、100才にならないと褒めてもらえないようになってきたようです。先生方も、まだまだ100才まで頑張ってください。

 僕にとっては、西高時代は、とても面白く有意義でした。太市の山猿が、姫路の都会にやって来たようなものでしょう。学生紛争の時代でもあり、大人や先生方に反発しながら、自由を求めて遊びまくっていました。しかし、また、その遊ぶことが大いに勉強になっていたと思います。

 僕は、西高で、本当の友人、損得抜きに付き合える本当の友人を得たと思っています。だいたいが、大人の社会は、損得づくでしか人と付き合えないような世界で、多感でありながら、純粋な心情を共有できるのは、青春時代、高校時代だけかも知れません。僕は、心情としては、その頃から全く成長していなくて、そのまま、今に至っています。今も、高校時代からの友人をかけがえのないものとして生きています。

 まあ、孔子のようには成長できなかったのでしょう。それでも、人はどうせ死んでいくのに、どうして生きているのかなどと懸命に考えて生きてきました。しかし、まだそれは解決していません。考えてみれば、死があるから生があるのであって、死のないところには生もないと言うことでしょうか。どうせ死ぬのだから、生きている間は懸命に生きる。あるいは、どうせ死ぬのだから、適当に面白おかしく生きる。

 さて、どっちでしょうね。どちらも正しいのかも知れません。しかし、今の世の中は強欲の世界、損得の世界で、誰かを犠牲にして自分の利益を追求する、そうして、金と名誉と地位を得ていくことが人の生き方のようになっていないでしょうか。立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半、と言います。強欲に生きたって空しいものでしょう。後ろめたく、こころが荒むばかりではないでしょうか。

 高校時代、僕は、そんな大人の世界の可笑しさを思いながら、それが今もそのまま続いています。今は、経済効果、経済効率こそが、世の中の仕組み、有り様なのだとばかりに、高校生にまで株取引のやり方を教えたりして、全く世の中は強欲こそ美徳と言わんばかりになっているようです。嘆かわしい。

 どうか皆さん、今日は、介護や健康の話ばかりにならず、思い出話を一杯されて、あるいは、やり残した夢について一杯語って、楽しくお過ごしください。

  影に脅え 振り仰ぎ見る 冬の月

2015年   12月27日    崎谷英文


ポトラの日記18

 また冬がやって来た。この冬は、暖冬だなどと言っていて、その通りの気候だったのだが、今日になってめっきり冬らしくなり、蹲にも氷が張りだした。僕にとって何度目の冬か、僕は、数とか年とか数えたりしないので分からないのだが、相棒に聞いてみても、お前はいつ生まれたのだったっけ、などと言って、もうすっかり呆けてしまっているようで埒が明かない。

 僕は、野良としてもまだ若い方だと思うのだが、人の世はずっと高齢化が進み、この辺りでも、老人ばかりを見かける。朝の通勤時間帯、7時頃から8時頃までは、学生さんや若い勤め人の男女が、多く太市駅に急いでいるのを見るが、昼間は、周囲で見かけるのは老人ばかりのような気がする。家の隣の畑をやっている人たちも、近所の老人ばかりで、相棒がその年令で最も若いというのは、何処か笑える。

 それでも、一人、小さな子供を毎朝のように見かける。その子は、近くの岡さんの家の孫で、僕よりは少し年上で、来年太市小学校に入学すると言う。可愛い男の子で、毎日のようにお祖母ちゃんと一緒に太市こども園まで歩いて行く。相棒もよくそのお祖母ちゃんと男の子に出会うようで、それこそ生まれたての頃からよく知っていて、その子が物心つき、相棒ににこにこと笑って手を振ってくれるようになったことを喜んでいる。

 先日、蓮根畑の所に、大勢のおじいちゃんたちが集まっていた。岡田さんと言う人が、その蓮根畑をやっているのだが、どうやら、その岡田さんの勤めていた昔の会社の同僚らしい。岡田さんも70才を越えてとっくにリタイアしていて、その同僚だったおじちゃんたちも、みんなリタイアしていて、暇にしている人たちばかりであろう。乗用車が七・八台もやってきて、朝の9時頃から、蓮根掘りが始まった。

 蓮根を掘るのは、専ら岡田さんで、他のおじいちゃんたちは、その手助けをするだけなのだが、みんな楽しそうだ。蓮根掘りは、冷たい泥水の中に入って、ホースの水で泥を飛ばすようにして蓮根を探っていくとても重労働になる。まあ、岡田さん以外のおじいちゃんたちは手を出さない方がいい。心臓麻痺など起こさないかと心配することになる。その日は、暖かな日で、岡田さんもせっせと蓮根掘りをして、昼ごろには、一斉にみんな帰っていった。

 人の世は、本当に高齢化社会になっているようで、その老人たちにどのようにしたらいいのか、困っていると言う。長く生きるということは、愛でたいことであって、医学の進歩が人を長命にしたことは、それはそれでいいことなのであろう。しかし、それがまた社会問題になっているのだと言う。老夫婦の世帯、またおじいちゃん一人、おばあちゃん一人の世帯が増えて、さあ、どうやって世話をしようか、と困っている訳である。

 命長くして恥多し、とも言い、長生きしても、身体も心も元気なままでいることは難しい。誰もが何時か、身体が病み、あるいは心が病み、到底老人一人、二人だけで生活することが困難になっていく。その為に、老人のための施設があちこちに造られているのだが、誰もが入ることのできるほどの数がないのだと言う。長生きをして、子供たちに迷惑を掛けて申し訳ない、と思いながら長生きをしている老人たちが多くいるのではないか。

 変な世の中ではないか。

 相棒の奥さんのお父さんは93才で、裏の離れに一人で住んでいる。娘の、相棒の奥さんの作る食事を、毎食ちゃんと歩いて取りに来られる。この秋に、肺に癌ができたとかで、早くて二・三か月と言われたらしいが、何の処置を施すこともなく、まだまだ元気で、「申し訳ありませんな、今年中に逝くつもりやったのですが、もう少しもちそうでんな。」などと大声で話されているのを見ると、まだまだ数年は元気そうな気がする。

 対照的に、相棒の奥さんのお母さんは、つまり、裏のおじいちゃんの奥さんは、もう、20年近く施設に入って寝たきりなのだそうだ。

 相棒は、両親共に60代で亡くなっていて、自分もそのうちだろうと思っているふしがある。

  蓮根の 掘る手を止める 時雨かな

2015年   12月18日    崎谷英文


不都合の修復

 水木しげる氏が亡くなった。「ゲゲゲの鬼太郎」など妖怪漫画で有名であるが、彼は、戦争で片腕を失っている。野坂昭如氏が亡くなった。「火垂るの墓」などの小説で有名であるが、戦中、戦後、幼い妹が目の前で餓死する、と言う経験をしている。両人共、戦争において、痛ましい体験をしているのだが、今、再び、ひたひたと戦争への足音が響きかけている。

 文明、科学技術の進歩というものが、自然を破壊し続けていることは事実であろう。社会が便利に、豊かになっていくに従って、本来、自然の持っている持続的、循環的な営みが阻害され、様々な不都合が生み出されている。

 そして、人間は、その文明が作り出した不都合を、更なる文明の発達、科学技術の進歩によって、修復しようとしているのが現代であろう。

 しかし、自然が壊されていく時、幾ら科学技術、文明の進歩により、それを修復しようとしても、自然は元に戻ることはない。あたかも、人類が新しく自然の仕組みを再編しようとしているが如くであるが、元々自然の持っている壮大で緻密な仕組み、営みを肩代わりするような力は、人間にはない。自然の仕組み、営みを、幾ら人間が研究したとしても、人間が自然を乗り越えて、新しく、この地球を作り変えていくことなどできない。

 また、文明、科学技術の進歩は、自然の中で生きてきた人々を、その自然との闘いの労苦から解放してきたかのように見えるが、反対に、人間が自然の中の一員としての人間であることを忘れさせ、自然の一員としての自然との共生によってこそ、心は和み、心は寛ぎ、生きていることの充実感の得られた生活を崩壊させてしまったのではないか。現代人の心は荒み、病んでいないか。

 自然と共生することが忘却される時、自然への畏敬の念は失われていき、そのことがまさしく、文明讃歌となって、ますます自然を支配しよう、自然を支配できるはずだ、という錯覚、幻想、傲慢を作り出してしまった。

 自然を蔑ろにすることが常態となると、人類、人間の間においても、この文明に邪魔な自然を破壊するように、文明に目障りな人間たちを排除しようとする。自由だ、平等だ、民主主義だ、資本主義だ、と言い募る現代文明は、人間の欲望を解放させ、自然をどこまでも支配しようとするのと同じように、その仲間に入ろうとしない人間たちを蹴散らそうとする。

 そうやって、人類は、元々持っていたであろうはずの、心の豊かさ、寛容、共生の精神を忘れ去り、人類同士の戦いを繰り広げてしまった。

 そして、幾多の戦争を経、幾多の悲惨な戦争を経験しながら、その戦争によって生み出された不都合な、不条理な社会を修復するには、やはり戦争しかないと、再び戦争をしている訳である。自然を破壊してきた文明の不都合は、文明が解決するのだとしてきたのと同じように、人類、人間同士の争いによって生じた不都合、不条理は、争いによってこそ解決できるのだとしている訳である。

 欲望が生み出した不都合は、更なる欲望が解決するのだと、強き者、猛き者、富める者たちが、さらに強くなり、さらに富むことによって、その余ったおこぼれが、弱き者、小さき者、貧しき者たちに与えられて、欲望の生み出す格差、貧困の不都合は、解決されるのだとし、それでいいのだとしていく。欲望による繁栄の作り出した不都合は、更なる欲望による繁栄によってこそ修復されるのだという訳である。あまりに浅はかだ。

 思い上がった文明信仰、また強欲主義が、取り返しのつかない修復不可能な地球、世の中、人類社会をもたらしつつある。あまりにあさましくなっていく世の中、人類社会において、今や、引き返す勇気を持たねばならず、引き戻るという決断もできるように身構えていなければならない。

 水木氏は、妖怪を描きながら、本来人の持っているはずの優しさを訴えていたのではないか。野坂氏は、戦争の悲惨さを語りながら、人の強欲の醜さと人の弱さを訴えていたのではないか。

  化けて出よ 酔い回りたる 冬の木々

2015年   12月12日    崎谷英文


春夏秋冬

 今、太市の山は、紅葉と黄葉が散りばめられたモザイク模様である。もはや季節は冬であり、山の粧いの秋の名残りであるが、やがて山は眠っていく。「春山淡冶にして笑ふが如く、夏山蒼翆にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として眠るが如し」(臥遊録)とあり、俳句において、春は、山笑う、夏は、山滴る、秋は、山粧う、冬は、山眠る、有名な季語である。

 季節が春夏秋冬と廻っていくが、その変化の中で人々は生きている。その一年の移りゆく山の姿は、人生にも似ている。元気に生まれ、すくすくと育ち、様々に生きてゆき、やがて静かに退いていく。古から、春夏秋冬の変化になぞらえて、人々は我が身を振り返っていたのではなかろうか。山川草木、その移りゆく景色は、人生の凝縮であり、この世の凝縮でもあったろう。

 芸術というものは、本来、真実を表現するものであろう。真実を表現することにより、美を表現する。真実が美しいものとして受け入れられていく。

 しかし、真実というものは単なる現実の再現、対象の写実ではない。現実の対象をそのまま写し取ったとしても、真実は浮かび上がってはこない。人々は、現実に目にするもの、その全てを目にしながら、その中に隠れ潜む、あるいはその中の何処かに隠れ潜む、真実のエッセンスというものを感じ取っているはずである。感動して見る時、漫然とただ全体を見ているのではなく、何処かに真実を見い出しているはずである。

 芸術というものは、そんな真実のエッセンスというものを抉り出すものではなかろうか。絵画にしても、彫刻にしても、それはただの写実ではなく、作者の感じ取ったこの世の真実、人間の真実というものを凝縮させたものではなかろうか。その凝縮され抉り出された真実というものに、人々は心惹かれ、美を感じ取る。一見醜く汚いものも、そこに真実が垣間見える時、人は共感し、感動し、美を感じとる。

 俳句にしても、僅か五・七・五の十七音の中に、この世の真実が表されている時、人は共感する。十七音で表されることは、たかが知れているが、しかし、だからこそ真実が凝縮されるのかも知れない。全てを語り尽くすことはできないだろうが、たとえ全てを語り尽くしたとしても、真実は浮かび上がってこないのではないか。無駄のない凝縮された言葉だからこそ、真実が見え、真実が感じ取れるのではなかろうか。

 真実は見た目ではない。真実は見えたままの姿ではない。現代のこの世を見る時も、ただ見たままでは真実は見えないのではないか。

 イスラム過激派のテロが世界で起こっているが、見たままの感情で、ただテロリストたちをやっつけろ、では済まない。テロリストたちが何故テロに走るのか、何故世界の中にそのテロに同調する若者が増えているのか、そのことを読み取らなければ、この世の真実は浮かび上がらず、根本的な解決もできない。真実を読み取らない限り、この世の不条理は収まらない。

 真実は美であるはずなのだが、さらに真実は善でもあるのではないか。テロは悪である。しかし、その悪は、別の悪から生まれてきているのかも知れない、と言うことに、心を馳せなければならない。

 西欧、アメリカ、日本の持つ共通の価値観とよく言われるが、果たしてそれがどれほど立派なものか。それは、自由、平等、民主主義などと名を挙げるが、実態は、貪欲の自由主義、金融資本主義であり、富める者を益々富ませ、貧しき者を益々貧しくさせ、それで正しく、善なのだと思い、思い込まされているのではないか。心は荒み、病んでいるのではないか。

 偽りは、真実の対局であろうが、人々は、心を偽っていないだろうか。本当は、人は心優しく、思いやり豊かであるはずなのに、この貪欲な競争社会に勝つことだけに明け暮れるように仕向けられ、それがこの世の真実、善だと思い込まされているだけではないのか。人々の心には、空しいやるせなさが漂っていないだろうか。富める者たちも、本当はどこか申し訳なく、後ろめたく思っていないだろうか。

 心の真実は、善であると思いたい。

 日本では、昔から、春夏秋冬を一つの絵で表すことがある。一対の屏風において、春の桜、夏の緑、秋の紅葉、冬の雪、を表す。四季を楽しみながら、人生の凝縮された姿を見つめる。華やかさを愛でながら、この世の無常を感じ取る。

  透き通る 冷たき朝の 白い月

2015年   12月5日    崎谷英文


冬が来た

 この冬は暖冬になるだろう、と言うような予報を気象庁が出したその日から、突然寒くなって来たように感じる。昨夜、いつものように酒を飲み、いい気分になって、さあ寝ようと寝巻に着替えた時、身体と足の冷たいことこの上なく、冬が来た、と感じた。一年は春夏秋冬の繰り返しであり、去年の今頃はどうだったか、五年前はどうだったかなど、とっくに忘れてしまっているのだが、今年の冬の到来は、早いのだろうか、遅いのだろうか。

 若い頃は、蒲団に入ると直ぐに、身体も足も温まっていただろうと思うのだが、寄る年波か、血の巡りが悪くなったのか、蒲団に入っても暫く足が冷たいこともあり、数年前から、湯たんぽを利用するようになっていて、またその季節が来たようだ。明日から、湯たんぽを使うようにしよう。

 先日、東京に行っていたのだが、東京に行くといつも感じる。この朝のラッシュアワーの能面の連なりを見ていて、いったい彼らは何を考えているのだろう。こんなに大勢の人々がいる中で、誰一人、顔を見合わせるようなこともなく、表情一つ変えず、ただ黙々と足を運んでいる。まるで、私服を着た兵隊の行進か、ロボットの行進か。

 田舎にいると、知っている人ばかりで、村の中でトラックを運転していると、擦れ違う人、擦れ違う車の人は、見知った人が多く、運転しながら挨拶ばかりしなければならない。まあ、これも面倒臭いことかも知れないが、見知らぬ人ばかりが、ただ黙って行進し、笑顔を見せようものなら変態のように気持ち悪がられるような都会の雑踏より、ましかもしれない。

 文明が進歩し、科学技術が発達して、世間は一挙に広くなった。都会に人は集まり、豊かで贅沢で便利な生活をするようになった。暖かな部屋に過ごし、きれいな服を着て、美味しいものを食べ歩く。しかし、世間が広くなったために失われていくものも少なくない。

 狭い世間で生きていた頃は、周囲の全ての人々が自分自身の関心の中にあった。しかし、世間が広くなるにつれて、周囲の人々は数を多くしながら、自分自身からは遠ざかっていく。自分自身と関係のない人ばかりが周囲に溢れかえり、多くの人に囲まれながら、自分自身は孤独になっていく。海の孤島にいても、猿一匹が隣にいれば孤独ではないかもしれないが、大勢の人に囲まれながらしばしば人は孤独になることもある。

 グローバル化社会の中で、世界は狭くなっていく。世界が狭くなっていくと言うことは、自分自身にとっての世間が広くなっていくと言うことになる。世界中から物資が届き、世界中に人々が行くことができ、世界中の情報が、瞬時に世界中に知れ渡る。しかし、多分、それら全てが、その人、自分自身にとってのつながりとしては、希薄なものでしかないのではないか。

 人は今、そんな希薄なつながりの中で生きていくように、強いられているような気がする。以前のような生身の温かなつながり、目に見える、耳に聞こえるつながりではなく、遠い世界と、機械と電波によってつながったものでしかなく、生身の顔は見えず、生の声も聞こえない世界に生きていくように、強いられているのではないか。

 世界が狭くなり、世間が広くなれば、多くのつながりができるはずなのだが、そうはいかない。所詮、生身の人間である。そんなに情は広がらない。世界のどこかで、テロ事件、大きな自然災害が起きても、それは、我が身周囲の隣の出来事ではなく、どこまでも遠い世界の出来事であり、舞台の演劇を見ているような感覚でしかない。世界が身近になって、世界に無関心になっていく。

 田舎にいると、知っている人ばかりで、これはこれで鬱陶しいのだが、都会よりはましなようだ。田舎にいると、義理と人情に縛られざるを得ないのだが、それでも、都会よりは、ましなようだ。冷たい能面の行進する朝に出くわす度に、震えが起きる。

 曇よりとした冬の空が広がっている。

  枯れ野原 隅より鼬 走り出て

2015年   11月29日    崎谷英文


 時雨にしては、降ったり止んだりしながら、結構長い間降り続き、田んぼの後始末を怠け続けて、稲藁を放ったらかしにしていたのが、この雨で濡れ切って腐りかけているのではないかと心配する。畑などに乾いた藁を使うことができなくなるおそれがあるが、それはそうなったで、田んぼの肥やしにはなる。これも、自然に逆らうのではなく、自然とのコラボレーション、共同作業と、独り善がりで遣り過ごす。

 漸く雨が上がり、久しぶりの青空の広がる中、桜山ダムを抜ける道を車で走っていると、右手の南側の水面に、山が綺麗に映っている。上下を反転させ、水面を対称軸にして線対称に映っている。赤と黄を取り混ぜて、二こぶの山が綺麗に水面に逆さまになっている。

 明鏡止水の如し、と言うが、時々ダムに沿う道を通るのだが、丁度風もなく、さざ波の立っていないような時でないと、山は綺麗に水面には映らず、通る時は、いつも今日は綺麗に映っているだろうかと期待するのだが、今回は、幸運にも綺麗に水面に映る山を見ることができた。

 水に映ると言うことは、水面が鏡のようになって映ると言うことで、その映るものは、上下が反転する。左右は反転しているのかと言えば、どうだろう。普通は、左右は反転していないと考えるのだろうか。しかし、どうだろう。山の上に鉄人28号が(古いね、知っていますか)立っていて、逆さになった鉄人28号が水面に映っていたとしたら、実物の鉄人28号の右腕は、水面では左腕になっていると見えないだろうか。

 普通、人が鏡の前に立つ時、鏡の中の像、鏡像は、左右が逆、左右反転していると感じないだろうか。上下は、反転しない。この鏡像の左右反転については、単純な現象でありながら、何故そうなるのか、何故そう見えるのかについては難問であり、古代より、哲学者プラトン、ルクレティウス、近代では哲学者ピアース、物理学者ファインマン、朝永振一郎など、さらには心理学者などが論じている。未だ説得力のある理屈はなさそうだ。

 最近も、高野陽太郎氏が「鏡映反転」(岩波書店)と言う本で、論じている。高野氏は、古代からの様々な説を取り上げ論じながら、多くの実験を繰り返し、この鏡映反転の謎を解き明かそうとしている。

 鏡というものは、正面に向かってみた時、前後が逆になる、前後反転と言うことが基本的にある。前を向いている顔が、鏡の中ではこちらを向き、頭の後ろは、その向こう側にある。鏡の面を対称面として、前後が反転する。この前後反転は、中学校でも覚える光の反射の原理から来る光学反転であり、鏡に映ると必ず起こる現象である。

 Fと言う文字を鏡の中で見ると、左右が反転する。しかし、それは、Fと言う文字を知っているからで、知らない文字ならば、左右が反転しているのかどうかは分からない。その実物の文字の形を知っているから、左右が反転していることが分かるのだと、高野氏は言う。このことを、表象反転と言う。確かに、知らない文字では、左右の反転しているのかどうかは分からないであろう。

 人が例えば、左腕にリボンを付けて鏡像を見る時、鏡像の中の人は、右腕にリボンを付けているように見える。しかし、高野氏の実験によれば、25%の人が、左右は反転していない、鏡の中の像も左腕にリボンを付けていると見ていると言う結果になった。皆さんはどうだろう。リボンを付けた人、自分でもいい、その実物と鏡像の人、自分は、左右が反転していると見る人が多いのではないか。

 高野氏は、この違いは、視点の反転があるからなのだと言う。鏡の中の像は、視点の向きが逆になり、その視点からすると、右が左になり、左が右になる。このことを、視点反転と言う。左右反転を認めない人は、あくまで現実の自分の視点から見て、左、左腕にリボンがあると見る。

 今、イスラム国によるテロ事件が問題になっているが、もちろんテロは恐ろしいことで許されるものではないが、今、余りに自分たちの視点からのみ見てはいないだろうか。自分たちの目から見れば、非道で非人間的なテロであるが、テロリストたちも人間である限り、そのテロリストたちの視点も、またある。そのことを無視して、ただ憎悪を膨らまして、やっつけなければならないとすることは、本当の解決にならないのではないか。

 自分たちの右は、彼らにとっては左であるやも知れず、そのことが何故なのか、その根本原因の解明、解決がなければ、事は収まらない。何時までも憎悪は残り、報復の繰り返しになるのではないか。

 集合写真で前列右から三人目の人、などと指示があるが、それは、見ている自分からの視点の右なのか、写真の中の人の視点による右なのか、いつも悩んでいる。

  恥多し 我が身を晒す 初時雨

2015年   11月21日    崎谷英文


いのちの繋がり

 暦の上では冬になり、初時雨が冷たく降っている。太市の山に、赤や黄が点々と彩りを見せ、逆に、田んぼは刈田となって、徐々に色を失う。いつも通りの冬の到来と言えばその通りなのであって、古来より、きっと山は、春夏秋冬の色を繰り返し、米作りが始まってからは、田んぼは、田植え、黄金波、稲刈り、刈田の繰り返しであったろう。この景色も、昔とそれほど変わらない秋の終わりの風情なのだろう。

 山は変わらず其処にあり、田んぼも変わらず此の辺りにあったのだろうが、そこに住む人は変わっていく。

 ひとりひとりの人のいのちは短くて、ただそのいのちを繋ぐように、変わらぬ大地に、そのいのちが受け継がれる。ただ一つの生、ただ一人のいのちというものの空しさは、如何にしても克服できるものではなく、あらゆるいのちに限りがあり、あらゆる人はいずれ死ぬ。だからこそ、人は先祖のいのちを受け継ぎ、子孫にいのちを受け渡すことで、自分自身のいのちを永遠の中に位置づけようとしてきた。

 この太市の里に、初めて住み着いた人々はどんな人々だったのだろうか。今は、四方に高架の自動車道路もあり、縦横に道が走っている。しかし、此処に初めて人々が住み着いた頃、低い山とは言え、山に囲まれたその内側と外側では、世界が違っていたのではないだろうか。その内側の太市の人々は、生きるために、必死で田畑を耕し、山の木を伐り、茸を採って、いのちを繋いでいたのであろう。

 死を意識することのできるのは人間だけであろう、とか言われるが、その真実は分からない。アフリカのサバンナに住む像は、そのいのちの尽きるのを感じると、秘かに家族から離れ、ただ独り、身を隠すように死んでいくと言う。死を意識しているとまでは言えず、ただ本能として備わった死への儀式なのかも知れないが、いのちを繋ぎ終え、寿命を全うした潔さを感じる。

 古代から、人々は、この大地、あるいはこの大海原の恵みを頼りに生きてきた。生きていくことができるのは、この山のお蔭であり、この海のお蔭であったろう。狭い世間の中で、人々は助け合って生きていかねばならず、山は神となり、また海は神となる。それぞれの村に、山の神がいて、海の神がいた。多くの人々は、死というものを強烈には意識することもなく、生死は神の御業であり、運命であると従容していたのではなかろうか。

 しかしとも言うべきか、だからこそと言うべきか、人々は、家族、身内の人の死、身近な人の死に、いのちの繋がりを感じ、弔わずにはいられなくなる。彼らのいのちが、自分のいのちに繋がり、生きていくことができるのであり、彼らは死んでも、そのいのちは、今も自分の中にいる。

 昔の人は、死んでいった人々の魂が、この世を導くと思っていた。死んでいった人々の魂は、吉ともなり、凶ともなるとして、その魂の安らかなるように、懇ろに弔い、祈り続けてきた。

 時を経て、時代は変わり、人々は狭い世間にのみ生きることはできなくなり、地球規模の中で、つまりグローバル社会の中で生きていかねばならなくなったのだが、いのちの繋がりに変わりはない。いのちの繋がりが、またグローバル化していくことになるのだろう。家族、身内、身近な人々の死に加え、世界中の人々の死が、そのいのちが、今の自分に繋がってくる。

 生きるために、人と人は戦をし、争い、殺し合ってきたのが、人の歴史なのだろうが、いのちの繋がりに、敵も味方もない。人々が愚かにも、敵のいのちと味方のいのちを区別し、差別して生きてきたのが、人の歴史だった。そして、それは今も続いている。

 魂というものが本当にあるのかどうかは知らない。しかし、ニュートリノのように、人の五感に感知され得ないようなものとして、あるのかも知れない。

 日本は、悲惨な戦争を経て、二度と戦争をしないと誓ったはずである。戦争をしないと言う誓いと覚悟を持って、かつて死んでいった敵のいのちも、味方のいのちも、その安らかなることを祈ったはずなのだが、今の日本、鎮まっていた魂が、再び悪さをするやも知れない。

  化けて出よ 有象無象の 秋の闇

2015年   11月14日    崎谷英文


管理社会

 久しぶりに雨になった。稲刈りも終わり、天日干しからの収穫も終わり、まだ、後片付けが残っていて、まあ、ゆっくりやればいい、と自分を甘やかしているところなのだが、この雨の中、庭の紅葉が輝いていることに気付き、暫し見とれて佇んでいたりする。ちょうど今が、最もこの庭の木の葉が色とりどりになる頃なのだろう。真っ赤のものもあれば、黄色いものもあり、常緑のものもある。

 こんな山里の田舎に住んでいると、自然は常に目の前にあり、四方八方の周囲にあるのだが、それでも文明の波は押し寄せている。文明というものは、生活の中に降りかかり、蔓延る。こんな田舎でさえ、そうなのだから、都会に住む人々は、文明の中に埋もれてしまっているほどではないかと推察する。もはや、現代人は、この文明、科学技術の恩恵がなければ生きていけないということなのだろう。

 文明、科学技術というものが、人々の生活を豊かにし、便利にし、楽にさせているのだろうが、そのことが、人々と自然との繋がりを希薄にしていることも確かだろう。自分の足で歩かなくとも遠くに行くことができ、目の前にない物を見ることができ、遠くの声を聞くことができ、夜も明るく、夏も涼しく、冬も暖かい。冬にトマトを食べ、夏に大根を食べる。生活に四季はなくなる。

 文明、科学技術というものが、あたかも自然を征服することができ、人間は自然を自由に作り変えていくことができるとさえ思い込んでいる。

 しかし、人が自然の恵みで生きていることは、たとえ、現代、また未来において、どんなに科学技術が進歩しようが、変わらないだろう。ビルの屋上で野菜を作ったり、工場の中で電気の光を当てて野菜を水耕栽培をしたりするということは、一見面白そうだが、ただの道楽のようでもあり、エネルギーの無駄遣いにしかならないだろう。

 文明、科学技術の発展は、人々の行動範囲を拡げ、様々な情報、それこそ世界中からの情報を即時に見聞きできるようにし、世界中からいろいろな製品、産物、食材が手に入るようにしてきた。それは、一見、人々の自由の領域を拡げ、選択肢の幅を拡げ、自由に豊かさを与えているように思われる。グローバル化時代である。

 しかし、また、その見かけの自由の拡がりが、規制、統制、管理を必要とし、要求するようになっていることも事実だろう。グローバル化は、自由と共に管理を要求する。

 コンピューター、IT技術の発達は、人々の生活を豊かに、便利にしてきたのだろうが、そのコンピューター、IT技術が、人々の生活を管理し、コントロールすることになる。

 カードを使えば、その情報はビッグデータとして登録され、その痕跡は消えることなく利用される。コンピューターで物を買い、何かを見れば、さも分かったかのように、類似商品、類似情報を、親切に、これでもかと宣伝し、提供する。ずかずかと、人の生活、人の精神にさえ、土足で入り込んで、操作しようとする。マイナンバー制度などというものも、便利さを謳いながら、実は、国家が国民を管理しようとするものである。

 街の至る所に監視カメラが備え付けられ、自動車を走らせば、監視の目から逃れることは難しく、何処に行ったか知れてしまう。悪いことをしていなければ見られても、知られてもいいではないか、ということでは済まない。見られない自由、聞かれない自由、自分の情報は自分で管理する自由と言う、いわゆるプライバシーの権利はどこへ行ってしまったのだろうか。

 管理社会、監視社会になっている。そして、その管理、監視の権限は、国家、権力者、商売人たちが持っている。気持ちの悪い社会である。

 一応の自由を認め、認められながら、柵の中に閉じ込められて、周囲からいつでもスポットライトで照らされて身を晒されるような、そんな気持ちの悪い社会である。管理しよう、監視しようとする国家、商売人たちにとっては便利なのであろうが、すこぶる気持ちの悪い社会なのだ。便利さのために、自分の情報を差し出してしまっているのか。

 間引きした小さなシュンギクを食べたが、甘くて美味かった。

  雲間より 小鳥の啼くを 仰ぎ見る

2015年   11月8日    崎谷英文


共感

 人の感じること、考えることは、千差万別である。いくら親しい人、親子だろうが、夫婦だろうが、熱愛中の恋人同士であろうが、まるっきり同じように感じ、同じように考えることはあり得ない。しかし、時に人は、他人が、特に自分の親しい人が、自分と同じように感じ、考えていると思い違いする。自分が感じ、考えていることと同じように、他人も感じ、考えているはずだと思い込む。

 だからこそ、人は他人の心を思いやらねばならない。人は、決して同じ経験をしない。あらゆる人は、それぞれ千差万別のいのちを生きている。たとえ、同じような経験をしているとしても、同じように感じ、考えているとは限らない。親子でさえ、双子でさえ、恋人同士でさえ、同じではない。もしかすると、近く親しいからこそ、余計な思いが入り、交錯していくのかも知れない。人の心は、ややこしい。

 他人の心を思いやるということは、人の人としての特権とまでは言わないが、少なくとも、他の生き物よりも、数段優れて、他人の心を思いやる能力を持ち合わせているのが、人であろう。それを、共感する心と言ってもいいだろう。人は、多分、原始の時代から、人の心を思いやっていたはずだ。だからこそ、人は、人の世、社会というものを作ることができた。

 しかし、また人は、自分勝手な生き物でもある。自分自身、家族、身近な人々が良ければそれでいいのだという、身勝手なところを持っている。身勝手さによって、人は、自分の思いを独りよがりと思わずに、他人に押し付けることにもなる。他人を、支配し、自分たちさえ良ければいい、という傲慢な考えにも至る。そうして、人は、古来からずっと、争い、戦争をし、殺し合ってきたのだとも言える。そこでは、欲望が、共感を凌駕する。

 もしかすると、人の心を思いやることが、本当の意味でできる人とできない人とがいるのかも知れない。この世の、この社会の人と人との繋がり、結びつきというものを理解しながら、ただ、世の中の仕組み、有り様として理解しているばかりで、本当に人の心を思いやる、人の気持ちに共感するということができない人がいるようだ。

 人の心を思いやり、思い計ることの苦手な人というものは、確かにいるとは思うのだが、彼らも、成長するにつれて、また社会の中で生きていくにつれて、人の立場、人の心を思いやらねばならないことを覚えていく。

 しかし、困ったことに、人の立場、人の心を思いやらねばならないことを知ったとしても、ただ、それを、自分自身のために用いる人たちがいるようだ。この世、この社会で生きていくために、まさに、自分自身のために共感を装う人たちがいる。共感を装いながら、実は、自分自身のために、自分自身の思いを成し遂げるために、行動している人たちがいる。人のため、と自分自身が暗示にかかり、思い込んでいることもある。

 心理学上、人の心に共感できない、人の心を思いやることができない人を、サイコパスと呼んだりするのだが、往々にして、そういう人たちが権力を持ったりする。共感できないからこそ、周囲に無頓着に権力に近づくのかも知れない。そういう権力者だからこそ、戦争をしたり、弱者を切り捨てたりすることに、躊躇いがないのではないか。彼らは、共感はできないが、人の心を思いやったふりをして、人を操作することに巧みなのである。

 もちろん、人の心をステレオタイプに、共感できる人とできない人とに分類することはできず、連続したものなのであろう。あらゆる人に、共感する心と自分勝手な心が同居しているだろう。しかし、そろそろ、自分勝手な心は捨て去って、世の中を作っていかなければならないのではないか。

 西洋のもたらした自由主義、資本主義というものが、欲望のぶつかり合い、つまりは、自分勝手な心を基礎、元として作られているのだとしたら、共感しないことが、生きる術となってしまう。共感する心を元にして、世の中を作り変えなければならいのではなかろうか。

 本当に共感するということは、他人の苦しみを自分のものとし、他人の喜びを自分のものとすることなのではないか。人の心は、千差万別であるが、同じ人であり、同じいのちなのだと実感することなのではないか。

  猫の鳴く 四方の山の 紅葉づるを

2015年   10月31日    崎谷英文


米作り

 この一週間ほど、米作りで忙しかった。先週の土曜日に大きな田んぼの稲刈り、天日干しをし、その三日後の水曜日に天日干しをしていた小さな田んぼの稲、キヌムスメの脱穀、籾摺りをした。そして、その三日後の今日、土曜日に大きな田んぼの稲、ヒノヒカリの脱穀と籾摺りをした。

 小さな田んぼの脱穀、籾摺りは量が少なく、ほぼ午前中に終わった。このところ雨が全く降らず、乾燥注意報が毎日出ていたくらいで、米は乾き過ぎるほどになっていた。稲刈り、天日干しをしてから、ちょうど二週間経っていたのだが、例年ならば、二週間ぐらいでちょうどいい乾き具合になるのだが、今年は、二週間では少し長すぎたのかも知れない。

 初めてのキヌムスメだったので、さてどんな味がするのかと思って、早速食べてみたのだが、新米だから新米なりに旨いのだが、何処か物足りなく感じた。新米に期待する香りが、少し足りない。乾かし過ぎたのか、それともキヌムスメという品種の持つ元々の味の傾向なのか、暫くおけば馴染んでくるのか、などといろいろ考える。以前に作っていた早稲のキヌヒカリの方が美味しいんじゃないの、と妻が言う。これから、どんな味になるか、見極めたい。

 キヌムスメの取れ高は少ない。しかし、何しろ、この小さな田んぼでは、もちろん化学肥料は入れず、有機肥料さえ全く使わず、もちろん除草剤、農薬も一切使わずに米作りをしたのだから、いわゆる放っておいて米作りをしたようなものだから、それにしては上出来なのであろう。

 今、各地で赤トンボが少なくなっているということが、新聞に載っていた。何やらの農薬のためだとかの憶測がなされているが、因果関係はまだはっきりしない、などと書かれていた。きっと、特定の農薬のせいではなかろう。自然の循環が壊れてしまっているからだろう。見ていてよく解かる。この小さな田んぼでは、穂が色付き始めた頃、アカトンボは大群で飛んでいた。科学文明は、至る所で、自然を歪めている。

 大きな田んぼの方は、稲刈り、天日干しをして、ちょうど一週間で、脱穀、籾摺りをしたことになる。やはり、天候の関係で、ヒノヒカリは充分乾いていると判断した。しかし、天日干しにすることは、ゆっくりと太陽と風によって乾かすことで、その間に旨味というものが下りてくるのではないか、などと考え、いつも通り二週間ほど待った方がいいのではないかとも思った。

 本当にいいのは、天日干しの間に、数日雨に降られながら、二週間以上掛かってゆっくり乾くことなのかとも思うのだが、天気には敵わない。乾いてしまったならば、やはり収穫すべきであろうと判断したわけだ。自然というものを相手にしていると、単なる数値でないことがよく解かる。自分の目で、自分の五感で確かめて、最適を見つけるしかない。

 GDPだ、株価だ、成長率だなどと、現代は、余りに数値に踊らされていないだろうか。本質は、別のところにありそうだ。

 ヒノヒカリの稲刈り、天日干しの時には、宮野と中山が手伝いに来てくれた。心臓の手術をした吉田が、差し入れに来てくれた。例年ならば、子供会がとんどの藁が欲しくて手伝ってくれるところなのだが、村の祭りに重なって、その助けがなく、宮野も中山も相当疲れただろうが、きっと、気分は良かったのではないか。鎌を持って、バインダーの刈り残した稲を刈り、稲木に通した竹に丁寧に稲束を干してくれた。感謝する。気持ちのいい汗だったと思いたい。

 今日は、子供会の親子が来て手伝ってくれた、と言っても、欲しい量の藁が手に入ったら、さっさと帰ったのだが。子供たちは、何か感じ取ってくれただろうか。生きていくためには、自然に働きかけて、自らの手で、汗を掻いて、生きる糧を手に入れなければならない。共同で働いて、みんなで分かち合って生きてきたのだ。金さえあれば、贅沢ができるのではない。そんなのは、つまらないことなのだ。

 結局、午後四時近くまで掛かって、籾摺りを終えた。ヒノヒカリには、肥料としては去年の暮に牛糞を少し撒いただけであったが、田植え後の除草作業を入念にしたことが良かったのか、取れ高は去年より多かった。まだ食べていないので、味は分からない。

 とても疲れた。この後、子供たちが勉強に来る。

  そぞろ来て 刈り田に遊ぶ 子供かな

2015年   10月25日    崎谷英文


天気予報

 一昨日は、朝から雲一つない青空で天高き秋空だったのだが、昨日は、朝からどんよりと曇り、空は一面灰色だった。天気予報では、暫く前は、この週末まで晴天が続くようなことを言っていたのだが、昨日辺りからの予報では、雨が降るかも知れないなどと言いだす。まあ、余り天気予報などというものは信頼し過ぎない方がいいのだと、改めて得心する。今日はまた、きれいな青空である。

 天気というものは、ただ予測するだけで、それが当たったり外れたりするもので、人の力ではどうすることもできない。しかし、この世、この社会というものは、その成り行き、これからどうなるかということは、天気予報と同じように確とは言い切れないのだが、この世、この社会というものは、人の作り出すものであって、この世、この社会は、人の成せる業であり、人の仕草で、この世、この社会は作り変えられる。

 この世の将来の見通しだの、未来の予測などというものがよく言われるが、天気予報以上に眉唾物である。経済評論家の予測は特に酷い。何だかんだ、今の世の中はこうなっていて、現在の社会状況はこうで、このままではおかしくなるから、そうならないようにこうすればいいのであって、そうすれば、世の中、社会は良くなるのだ、などと、人々は様々な提案をする。しかし、騙されてはいけない。

 現状把握自体が間違っていることもあれば、現状打開の方策がとんちんかんなこともあれば、そもそも目指すべき良き社会というものが、とんでもない悪い社会だったりする。

 権力者、既得権者たちは、自分たちの権利、利益を守ろうとして、大衆を言いくるめることに奔走する。自分たちがやって来たことを間違っていたとは、決して言わないし、自分たちの権利、利益を分配、放棄しようなどとは決して言わない。

 権力欲、名誉欲、支配欲などというものに憑りつかれた人間が権力を持つと困ったもので、建前としての国民主権、民主主義、自由、平等というものも、何とか形だけは取り繕って、自分たちの権力、利益を維持しようと企み、権謀術策を講じて、大衆を丸め込もうとする。ある時は、力で押し切り、ある時は、詭弁を論じる。

 安倍晋三は、稀代の悪法、安保法制を数の力で成立させ、詭弁を持って騙くらかそうとしたのだが、何とかして、このまま権力を維持するために、国民を騙くらかし続けなければならず、そこで持ち出したのが、一億総活躍社会である。国民を馬鹿にした方策で、ただの目くらましで、気の利かないギャグのようなものである。

 地方創生、女性活躍社会に次いで、一億総活躍社会である。地方創生も、女性活躍社会も、何一つ成果を挙げないままに、またまた、聞こえばかりのいい一億総活躍社会である。何も具体策はない、地方創生、女性活躍社会と同じただのスローガンで、何のことやら解らない。こんなものにまともに付き合ってはいられないと思うのだが、取り巻き連中は、権力者になびくばかりのていたらくである。まともな政治家はいないらしい。

 そうして、何とか会議とかいうものをどんどん作って、有力者、有識者らしき人たちを抱き込み、責任を転嫁させ、時間稼ぎをし、一時しのぎの姑息なやり方を続けている。

 原子力発電にしても、沖縄の米軍の辺野古移転にしても、地元民に金を出せば解決できると思っているのだろう。人参をちらつかせ、札束で頬を張れば、大衆はなびくと思っているのだろう。アベノミクスというものも、その一環だったのだろうが、底は見えた。安倍晋三は、国連総会で演説をした、第一、第二、第三に、経済、経済、経済と。金、金、金と聞こえる。ニュースで見ていて、気持ちが悪くなって吐きそうだった。

 もうそろそろ、気が付いてもいいのではないか。安倍晋三とその仲間たちは、太平洋戦争の怨念を胸に抱き、日本をとにかく強くして、戦争のできる国、戦争をする国にして、今度は、戦争に勝ちたいのだ。世界の強国になりたい、ただそれだけである。そして、その目的の果ては、アメリカと戦って勝つことなのだ。

 近く、大きな田んぼの稲刈りをする予定だが、天気予報が気になる。当てにしないが。

  流雲の 行方の見えぬ 里の秋

2015年   10月16日    崎谷英文


キヌムスメ

 10月7日、朝9時前、桜山ダムから流れてくる小さな太市川の隣、山裾にある、今年初めて植えた新しい稲の品種キヌムスメが黄金に輝いている二畝余りの小さな田んぼに向かう。昨日の昼前に、バインダー(稲を束ねる機械)を試運転していて、覆いを掛けてそのままにしておいたものが田んぼの端にある。今日は一人で、稲刈りをし、稲架掛け(天日干し)をする。

 新種のキヌムスメは、キヌヒカリの娘で、農協の手引きによれば、刈り時は10月の初め頃になっていて、この辺りでも、この種の収穫作業は、昨日あたりからぽつりぽつり始まっている。いくら手引きがこの時期だと言っても、米作りをしている人は、そのカレンダーだけでは動かない。稲の実り具合を自分の目で確かめて、刈る時期を早めたり、遅らせたりする。今年は、雨が多く、気温も低めで、刈り入れは少し遅れ気味になっている。

 稲は穂を出してから、45日位経つとちょうど刈り頃だと言うが、82才のタカシさんに寄れば、稲の穂先の3分の2程が黄色くなったらちょうどいいのだと言う。田んぼ全体を見渡してみて、充分全面が黄色になってないと刈り取りには早い。もう一つの一反半程の田んぼには、以前と同じ、ヒノヒカリと言う品種を作っていて、そちらの方は、まだ青さが残っている。

 英太は、稲の籾を手ずから採って、殻を剥き、その色を見、食べたりして、出来具合を確かめている。熟成していないと、殻を剥くにも潰れたりし、歯触りもなく柔らかい。漸く、この小さな田んぼの草茫々の中のキヌムスメは、熟成したようだ。

 昔は、バインダーと言うような便利なものがある訳はなく、手刈りであった。そこには技があり、鎌で幾つか適当な量を刈って、腰に結わえた藁を一本抜き素早く束ねる、と言う職人芸のようなものがあった。中腰のまま、それを何度も繰り返して、大量の稲束を作っていく。今はそれを、バインダーがやってくれる。慎重に稲の筋に沿って押し歩いて行けば、数秒毎に、きれいに束ねられた稲が、勢いよく右側に飛び出る。

 この世は、便利なもので溢れている。機械というものが、昔は人々の手仕事でやっていたことを、ほとんどスイッチ一つでやってくれる。効率が良く、人手が掛からない。そうやって、農業というものも、昔は人海戦術でなければならなかったものが、少人数でできるようになり、若者は、こぞって、都会に出て行った。華やかな都会は、今も若者たちを惹きつけている。

 機械が仕事をしてくれるようになると、人々は自分の身体を使わなくなり、いわゆる手作業の技、身体動作の熟練、というものを身に付ける必要がなくなる。さらには、手触りという感触、身体と物とが直接繋がるという身体感覚を失っていく。

 道具を使いながらも、まだ、その道具と自分の手足とが一体となって、その物に触れているという感覚があるのならば、まだ、身体能力は発揮されるが、余りに便利すぎる道具は、自らの手足、身体で作業しているという感覚を失わせる。

 この間、テレビで、手を少しも汚さずに、機械と道具を使ってハンバーグが作れる、というようなことを放映していたが、何が面白いのか。包丁一本で、自らの手で食材に触れて料理をする方が、余程面白かろう。それで、この料理を私が作りました、というような感覚になれるのだろうか。

 今、DIY(Do it yourself. )が流行していると聞くが、それこそ、現代の便利さへの反動なのではないか。自分の身体、手足を使って物を作り上げていくということ、つまりは、自然の中にあるものを素材とし、自らの手で触れ、それを利用し、活用し、変形し、加工していくということこそ、懐かしい本来の人の姿だったのではないか。機械や便利すぎる道具というものは、人を楽にさせるが、何故か、何処か冷たい。

 バインダーを押し続けて、漸くほとんどを刈り終えて、昨日から用意していた稲木を慎重に組み立て、竹を渡して、その上に稲を天日干しにする。稲束を、8対2程に分けて、交互に掛けて、上から少し叩き、隙間のできないように押し付けていく。こうすることが、少々の風雨に飛ばされないように、外れ落ちないようにする知恵である。

 昼までに終えるはずが、午後3時過ぎまで掛かって、漸く、小さな田んぼに、英太の好きな景色が出来上がった。

  真青なる 空一面に 黄金波

2015年   10月10日    崎谷英文


ポトラの日記17

 母のダラが、自動車に跳ねられて死んでしまった。相棒が仕事をしている夕方、もう塾に子供たちが勉強に来ていたのだが、奥さんから電話があったらしい。隣の吉田さんから、お宅のネコが車に跳ねられて死んでしまったようですよ、と連絡を受けたそうだ。相棒は、子供たちに自習勉強をしているように、と言って戻ってきた。

 吉田さんと川端さんの間の狭い通路に、母は死んでいたそうだ。自動車に跳ねられたと言っても、轢かれたのではないらしく、その身体に傷一つなかった。しかし、確かに眼が半分開き、ぴくとも動かず、息がなかった。まだ温かく、柔らかい身体だったようで、今しがた死んだ、と思われた。母が跳ねられたところを、姫新線で帰ってきた人が見ていたらしく、あっ、跳ねられた、と叫んだそうだ。

 しかし、母の身体は、表の通りから離れた所にあった。きっと母は、跳ねられながらも自分の力で、そこまで歩いてきたのであろう。そこで力尽き、息を引き取ったのではないか。口の辺りに少し血が付いていたそうだが、眼を開けていなければ、眠っているのかと思われてしまうほど、きれいな身体だったらしい。相棒は、箱と毛布を持ってきていて、母を毛布にくるんで箱の中に入れ、吉田さんにお礼を言って持って帰ってきたのだと言う。

 柿の木の近く、犬のシンベー、兄のコトラの眠る墓の隣に、新しく穴を掘って、母を埋葬したそうだ。

 その母が死んだ時、僕は近くにいなかった。母が死んだことを知らなかった。母とはその頃、別々の所で寝ていたりして、食事の時に会う程度だったので、その時も、一緒ではなかった。僕は、その時、のんびりとどこかをぶらついていたのか、それとも、草叢の上ででも居眠りをしていたのか、今となっては、思い出そうとしても思い出せず、はっきりとは分からない。

 これまでも、二・三日、母と会うことのない日が続いたこともあったので、母も気紛れに、どこかに遊びに行っているのだろうと思っていたのだが、四・五日、一週間と母を見なくなったので、心配になっていた。柿の木の近くで母の匂いがするので、その辺りでじっと待っていたこともあるのだが、母は現れなかった。相棒の僕を見る目が潤う。僕は食事をする時、母が来ないかときょろきょろするのだが、母が近くにいる気配はなかった。

 母がいなくなってから二週間以上も経って、やっと母が死んだことを知った。相棒もやっと教えてくれた、母の死んだ時の経緯を。僕は、一人ぼっちになってしまった、と改めて思った。母がいて、僕たち三人の兄弟がいて、楽しかった。僕は一人になってしまった。僕は、何か悪いことをしたのだろうか。

 母は、少し前に足を痛めていたようで、少し足を引き摺っていて、それで自動車を避けきれなかったのだろう。僕が付いていればよかった、と後悔する。

 子供の頃、母と兄たちと走り回っていたことを思い出す。本当に楽しかった。相棒が僕たちと仲良くなって、僕も少し大きくなって、兄たちと喧嘩しながら、母にもいろいろ教わって、僕は、ゆっくりゆっくり、この世のことを学んでいった。野良猫がやってきて食事を横取りしようとしたりして、怖いこともあったのだが、まだまだ、この世には楽しいことがあるようで、うきうきわくわくしながら、生きていた。

 しかし、コトラが車に跳ねられ、ウトラがどこかに行ってしまい、今、母のダラも死んでしまった。僕は一人ぼっちになってしまった。もう、この世なんかどうでもいいような気にもなる。僕は、生きていていいのだろうか。これから、僕の話し相手は、相棒しかいない。

 相棒も寂しそうだ。僕が相棒に慰めてもらいたい、と思うのが普通だと思うのだが、相棒は、ダラが死んで、僕より落胆しているようで、精一杯、僕が相棒を慰める羽目になる。

 僕も悲しく苦しく、相棒も悲しく苦しいのだが、悲しく苦しい者同士、相手を元気づけるために頑張っているようなもので、それで何とか支え合っているのかも知れない。生きていればもっと楽しいことがある、などと言う幻想はなくなったが、だからと言って、嘘でもいいから笑っていればいいなどと言うのも、その場しのぎの全くのまやかしで、ますます、胸が苦しくなって無力な自分を恥じ入るしかない。

 この世は、無常で空しい。

  彷徨いて 天まで歩く 秋夕焼け

2015年   10月4日    崎谷英文


 今日も同じ山を見ている。その山は、子供の頃からどれほどの変化を見せているのか分からない。一年を一周期に山は変化する。しかし、一年を一括りにしてみれば、山はその一年を通しての装いの変化を、何年も何年も同じことを繰り返しているにすぎないのかも知れない。子供の頃は、じっと山を見ることなどなかったのだが、それでも野を駆け巡りながらも、いつも山は目に映っていたであろう。

 そんな山々を、毎日見るようになったのだが、何の変哲もなく、朝早くは、時に靄に包まれ、時に、所々に山の木の上にシラサギが止まっていたりするが、変わり映えのしないいつもの山である。特に美しい山でも何でもない。聳え立つような威厳のある山でもなく、急峻で険しく人を寄せつかせないような山でもない。ただ、平凡で、小さく低い山である。

 帰りなんいざ、田園将に蕪れんとす、胡ぞ帰らざる。(帰去来辞)陶淵明は、晴れ晴れとした心で、卑しい都会生活から故郷に帰ったのだと言う。紀元四世紀から五世紀にかけて、中国の混乱の時代、五胡十六国時代、東晋の役人だった陶淵明は、不条理で窮屈な都会の役人生活を捨てて、故郷に帰った。陶淵明は、真の自由を取り戻すために故郷に帰ったのであるが、故郷の山は彼を優しく包んでくれたであろうか。

 英太は、ただのはぐれ者。都会を追われて帰ってきただけの負け犬のようなものだ。しかし、俗世の不条理を逃れるのには、やはり、山の中に行くしかないのは、昔も今も変わりはなさそうだ。国破れて山河あり、と言うが、人間がどんなに惨たらしい戦争をして互いに朽ち果てようとも、山は平然としてそこに残る。英太の生まれるずっと以前から、山はそこにあり、英太が死んでからも、山はずっとそこにあるだろう。

 四季の変化を楽しむには、やはり山がいい。少しずつ少しずつ色を変えていくのを見ていても、四季の変化は突然訪れる。いつの間にか山桜が咲き、いつの間にか青々と輝き、いつの間にか紅く染まり、いつの間にか枯れ木が霜を被る。街の人が物見遊山で、一時桜を愛でるために、一時紅葉を見るために山を訪れるが、きっとそれは、本当の山を見ているのではない。

 木を見て山を見ず、と言うが、山を見て見えない木を見たいと思う。山の中に潜む有象無象の大小のいのちの営みを見たいと思う。地球上には、人の知る動物は100万種ほどにもなると言うが、知られていない種を含めれば、その数倍になると言われる。植物を含めれば、さらに数百倍の種になろうか。それらは多く山の中に潜み、ただ営々と自分たちのいのちを生き、いのちを繋ぎ続けている。

 同じ景色でありながら、じっと見ていると、ふと気が付くことがある。ああ、今まで見ていたものは何だったのか、本当の景色は見ていなかったと気付くことがある。この平凡な景色の中に、この世の太古から現在までの、全ての営みが隠されている。未来さえも見え隠れする。表面だけを見ていても気が付かないのだが、見続けていると、その中に、この世の真実が見えてくる。

 芸術家というものは、そんなありふれた景色の中から、何処にでもあるような姿の中から、真実を抉り出すことのできる人ではなかろうか。そうでなければ、芸術家ではない。真実というものは、あらゆるものの中に埋もれていて、表面だけを見る凡人には見えないが、じっと見ていれば見透かすように、その中の真実がみえてくるのではないか。真実というものは、醜を含んだまま美になる。

 あらゆるものの中に宇宙がある、というのは、こういうことではなかろうか。全てのもの、全ての時、全ての一瞬も、この世の、この宇宙の現われでないものはない。何も、新しいもの、見たことのないものを見なくとも、いつも見ているものの中に、真実を発見することはできる。ずっと見ていながら見えていなかっただけで、目を凝らし、心を澄ませれば、見えてくる。濁った目には見えない。

 毎日、同じ山を見ている。毎日見ているが、同じ山である。同じ山を見ながら、ふと気の付くことがある。ああ、そうだったと発見することがある。

  山の色 微かに変へて 秋の行く

2015年   9月27日    崎谷英文


安保法制

 やはり、数の力で安保法案が成立してしまった。日本国憲法制定から数十年、その間に日本人の血となり肉となって来ていると思っていた戦争放棄、平和主義の精神が、ずたずたに切り裂かれた。世界に誇るべき日本国憲法の平和主義、それは世界の理想であり、世界中の国が見倣うべく、日本に学ぶべき戦争放棄であった。この戦争放棄の平和主義を世界に訴えることこそ、積極的平和主義なのではなかったのか。

 何とまあ、酷いことになったものだ。無理が通れば道理が引っ込む、日本には立憲主義というものは、存在しなかった。過去に、ナチス・ヒットラーは、当時最も民主的で社会的な憲法と言われたワイマール憲法を無視して、全権委任法(1933年)を議会で通過させ、一党独裁の政権を作っていったのによく似ている。憲法違反かどうかなど問題ではなく、国をどうするかをヒットラーが自分で決められるようにした。

 戦争は命のやり取りである。殺す殺されるの世界である。勝つ側も負ける側も、犠牲となって命を落とす者のいることを予測しながら戦う。小さな戦争も大きな戦争も同じである。死んだ人が少なくて良かった、で済まされていいはずがない。どんな言い訳をしようが、人の命を犠牲にするのが戦争なのである。誰かが言っていたが、プチ戦争ならいいではないか、と言うような雰囲気になっていないか。

 小さな戦争も大きな戦争もない。互いに命懸けで戦っているのであり、敵を大量にやっつければ英雄になるのが戦争なのだ。戦争では、人は日常の精神を拭い去って、狂気になって戦わざるを得ない。人を殺してはいけない、と言う最も根源的な人の生きる条件である心を売り払って、戦わなければならないのである。

 日本は、日清戦争以来、勝ち進んできた戦争経験をし、しかし、最後になって大量の犠牲者を出して、太平洋戦争で敗れた。そこで気付いたのが、善い戦争などない、あらゆる戦争は悪である、と言うことではなかったのか。300万人以上の日本人の命が奪われ、その数倍の外国人の命を日本人が奪った。戦争中の日本人の悲惨な状況が語られるが、それ以上に、諸外国の人々を悲惨な状況に追い詰めたのである。

 日本が惨めに負けた。だから、戦争はもう止めるのだ、としたのではないだろう。日本人も、敵である外国人も、その命に価値の差があるはずもないのだから、とにかく戦争というものに日本は加担しない、参加しないのだ、としたのではなかったのか。

 しかし、今、先の大戦で負けたのが悔しくて、今度こそ勝ってやる、と戦争をしたがっているのが、安倍政権である。ゲームに負けた子供が、もう一回もう一回と挑んでいくのと同じではないか。戦争をしないための抑止力なのだと言うが、その実体が、戦争の準備であることは明らかだろう。今度戦争になったら負けないぞ、と待ち構えている。アメリカという軍事大国に寄り添って、今度こそ勝ってやるのだと用意している。

 たとえ、政府が、戦争が起こらないように安保法制があるのだと言っても、それに賛成する人々、とりわけ若者たちは、面白いじゃないか、やってやろうぜ、とゲーム感覚でわくわくしているような気がしてならない。戦争のできる国、戦争をする国になろうとすることは、こういった好戦的な若者を育ててしまうのではないか。彼らは、現実に自らを含んだ命のやり取りの悲惨さを知らない。まさか、それが狙いではないだろうな。

 抑止力というものを拒絶したのが、日本国憲法であった。前文にあるように、諸国民の公正と信義に信頼して、と言う言葉は、抑止力を拒否している。抑止力と言っても、それは憲法の禁止する武力による威嚇とほぼ同義であろう。

 安保法制が、中国の脅威をその理由の一つに挙げてしまえば、中国を敵とするのか。現に中国は、この法制に反応し、中国の軍備の更なる充実を計ると言っている。中国の軍備拡大に口実を与え、軍拡競争を加速させてしまったと言えよう。もしかしたら、中国にも、兵器、武器を売りたいのか。

 今まで住んでいた日本の姿が変わってしまうようで、もはや英太の住むべき所はないのかも知れないなどと思い、切なく寂しい。

  我が影に 怯える夜や 秋の雨

2015年   9月19日    崎谷英文


アマガエル

 雨模様の天気が長く続き、ようやく青空の中、太陽が照り始めた。久しぶりに田んぼに水を遣る。次の日曜日は、稲刈り前の道造りと称する村人総出での草刈りや溝掃除の日で、それまでに自分の田んぼの周囲の畦の草刈りをやっておくことにする。この九月に入ってから、気温はぐっと低くなり、朝晩涼しく、早朝は外気を冷たくさえ感じる。

 トラックに乗って小さな田んぼに行き着き、さあ降りようとしたとき気が付く。フロントガラスの所にアマガエルがいる。車の中にいるのかとよく見てみると、外のワイパーの上にちょこんと座っている。何時乗ってきたのだろうか。じっと座ったままトラックを止めても動こうとしない。2cm程度の大きさで、きれいな黄緑色をしていて、左を向いて座っている。トラックが走っている間も風に耐えてきたのか、と感心する。

 待てよ、トラックを出すとき、夜露に濡れたフロントガラスにワイパーを掛けたはずだ。アマガエルは、もうその時フロントガラスの所にいたのかも知れない。ワイパーの攻撃を躱して居座ったのか。カエルが天から降ってくるはずもない。ドアを開け、閉じてもびくともしない。今時のアマガエルは珍しいのだが、その分、しぶとく図々しいのかも知れない、などと思ったりする。

 小さな田んぼは、後一か月もしないうちに稲刈りになるのだが、この時期には、そう頻繁に水を溜めておく必要もないのだが、ある程度は水は必要となる。すると、突然、シカが飛び上がった。20mほど先の田んぼの中から、小鹿であろうか、ぴょんぴょんと飛び跳ねていくではないか。この秋初めてシカを見た。シカはきれいな薄茶色の肌をして、白い斑点があり、野生と言えど近くで見ると美しい。

 実は、この辺りにはシカは出没してはいけない。周囲の山裾にはシカ除けのフェンスが廻らされているはずなので、この辺りにシカは現われてはいけない。角のない子供らしいシカは、子供と言えど足は速い。ぴょんぴょんと幾つかの田んぼの中を飛び跳ねて通り過ぎ、道を渡って、北の山の中に入っていく。あっけにとられて見ていた。

 シカは、稲が早苗のうちに、その先っぽをかじり取って食べるのだが、稲が大きくなると固くなって食べなくなる。しかし、稲が穂を付けるとそれを食べる。以前、早苗の先をかじられたことはあるが、一度なら稲は再生し、普通に育つ。さては、もう充分実り始めた稲穂が食べられたか、と思って見て回ったのだが、はっきりとは分からなかった。スズメも食べる。

 関東、東北の豪雨による被害が伝えられる中、今朝、東京で震度5の地震が起きた。天と地から、神の怒りを買っているのか、大空と大地から自然の憤りが発せられているのか。人は、余りに傲慢になっていることに、なめるなよとばかりに、憤っているのか。もう、そろそろ、天から、地から、予想もできないようなしっぺ返しを食らうことの在り得ることを予期しなければならないのではないか。

 文明は、人の生活を豊かにし便利にし、また安全にもしてきたのであろう。しかし、その堅固で華やかな生活環境は、豊かで堅固であればこそ、その崩れる時は惨たらしく凄まじい。人はあまりに驕り高ぶって、不必要なものを作り続けてきているのではないか。大きくて立派なものを作れば作るほど、そのことが自らの首を絞めることになるのではないか、ということに気付かなければならない。

 天に届けとばかりバベルの塔を造った人間は、神から人と人との言葉が通じなくなるという罰を受ける。今、言葉は通じなくなっている。四大文明も古代帝国も、今やすべて廃墟となり、中世文明もその名残を遺産として懐かしむばかりであり、現代文明もまた、将来、朽ち果てるか巨大な幽霊屋敷を残してしまうことになってしまうのではないか。神は神を畏れぬ人間を罰し続ける。

 田んぼに水を入れて、堰を止める。ダムから落ちてくる水は冷たい。久しぶりの太陽が、その水をゆっくり温めてくれる。トラックに乗ろうとすると、まだアマガエルがワイパーに座っている。家に帰っても、まだ居た。

  畦踏めば 飛蝗の乱舞 雨上がり

2015年   9月12日    崎谷英文


アライグマ

 もう二か月以上前になるであろうか、我が家の半野良の猫の餌を狙って、アライグマがやって来た。縁側にポトラやダラの餌の皿を置いているのだが、しばしば食べ残しがあり、ある夜、家に帰ると、妻が、タヌキが猫の餌を食べに来てたよ、と言う。タヌキではなく、アライグマに違いないのだとは思うが、妻は、タヌキだった、と言い張る。

 タヌキは、昔からずっと日本にいて、この太市の山に今もいるだろう。しかし、アライグマは、北米が原産地で、元々日本にはいなかった。しかし、誰かが愛玩動物として日本に輸入したのだろう。そうして、増えてしまったせいか、扱いきれなくなったり逃げ出したりして、今では、日本の各地に住みついていると言う。太市でも、ウリやスイカを食べる害獣とされているようだ。

 妻が見たと言う二日後ぐらいだっただろうか、朝起きて見ると、アライグマ予防に猫の餌の蓋にブロックを二つ置いていたのが、そのブロックが横に置かれていて、餌も食べられてしまっている。アライグマはブロックを取り除けるほどに力が強いのか、と知ってびっくりした。隣に置いていた水鉢の水がほとんど空になっている。猫の仕業ではない。

 その翌日だったろうか、日曜日だったのだろう、英太が夕食を食べながら焼酎の湯割りを飲んでいると、ガラス戸の外の縁側にアライグマが現れた。妻は、三匹見たと言っていたが、二匹だった。確かにタヌキのように見える。調べてみても、アライグマとタヌキとはよく似ていて、その違いは尾の形にあり、また、尾に黒い輪が連なっているのがアライグマらしい。正面から見ただけでは見分けがつかない。しかし、可愛らしい。

 黙って猫の餌を食べさせてやる義理もなく、味をしめて、しばしばやってこられても困るので、声を出して近寄ると、こちらを見て残念そうに振り向き振り向き去っていく。インターネットで調べてみると、同じような事例が動画で撮られていた。昼間にも関わらず、三匹の猫が餌を食べている所に、アライグマが一匹堂々とやってきて、猫の餌を食べる。猫たちは、不思議そうに逃げもせずに傍らで見ている。

 我が家の水鉢の水が無くなっていたのも道理で、アライグマは、餌を食べては、隣の水の箱の中に手を入れて擦り合わせることを繰り返す。アライグマの名が、この如何にも手を洗っているような仕草からきていることは明らかだ。手、つまり前足を器用に使っていて、力もあるのだろう。最後は、餌を両手で抱えて、二歩足で足早に去っていった。そんな映像だった。

 シリア難民やアルジェリア難民が、多くヨーロッパに押し寄せてきているようだ。小さな船でトルコからギリシャに渡ろうとしていた家族の中の三歳の子供が、トルコの浜辺に遺体となって打ち上げられていたことが話題となっている。故郷の住処を追われ、追い出されてきた難民たちが、何故難民にならざるを得なかったのか、と言えば、その原因、責任の元を正せば、強欲な西側先進国にあったのではないか。

 それを、全くシリアが悪い、イスラム国が悪いと一方的に言い切ってしまい、彼らをやっつけなければならない、とすることでは収まらない。難民を拒絶することなどできるはずがない。問題は深い。

 アライグマは、北米原産で、否応もなく人間が故郷から日本に連れてきたのである。それをただ害獣としてやっつけようとすることは、人間の勝手な仕業であろう。日本人は、タヌキを人を化かすものとして、古来より言い伝えるが、それは、タヌキを身近な生き物として認めてきた証拠でもある。故郷から引き離され異郷の地で生きねばならないアライグマにこそ情けをかけねばならない。

 アライグマはアライグマ科で、タヌキはイヌ科だと言う。全く種類は違うのだが、よく似ている。武器を持って対処しようとすると、その武器は我が身に襲い掛かる。アライグマも化けるやも知れない。アライグマともタヌキとも、武器を持たずに仲良くすることを考えねばならないのではないか。アライグマも第二の故郷として、人間ともタヌキとも仲良く、この日本で暮らしたいのではないか。

 あれから、アライグマを見ていない。

  アライグマ タヌキに化けて 夏の夜

2015年   9月6日    崎谷英文


コオロギ

 処暑(二十四節気の一つ、8月23日、暑さも和らぐ頃)の翌日だったろう、夜の仕事を終え玄関を開けると、コロコロとコオロギが鳴いている。季節の移り変わりは、意識を越えて、世の中に余程のことがあろうが、淡々とその姿を見せつける。今日もまだ、夕方にはツクツクボウシが鳴いていたのだが、確かに、夏から秋へ、季節は動いている。空は久しぶりに晴れ、上弦の月が、人の顔のように明るい。

 つい先日まで、夜、窓を開けると蛙の声が喧しかったのだが、これからは、蛙の声から虫の声になっていくのだろう。コオロギにも、バッタにも、ツクツクボウシにも、蛙にもそれぞれのいのちがあり、それぞれの世界がある。短いいのちではあるが、彼らには彼らの生き様がある。

 彼らと比べ、人のいのちは長いが、死に繋がっていく生を生きていることに変わりはなく、つまるところ、同じいのちをこの世に、形こそ違え、束の間得ていることに変わりはないなどと、感傷的になる必要もないのだが、人だからこそか、年を取ったせいであろうか、何故生きているのかという、答えのない永遠の謎を思い出す。

 昨日の処暑の日、ちょうど村では、地蔵盆の日であった。地蔵は地蔵菩薩であり、釈迦の亡くなった後、五十六億七千万年後に弥勒菩薩が現れるまで、この五濁悪世の暗き世、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天道の六道の世界を行ったり来たりする世に、衆生を救済する務めに誓願を立てたのが地蔵菩薩である。今は、地蔵はその土地の、特に子供たちの守り仏として、よだれかけを掛けられ、菓子などがお供えされる。

 英太は、四班の班長として、他の役員と共に、地蔵に飾りつけをして、子供たちに菓子を与え、酒を酌み交わす。年寄りが集まると、いつも同じような話題になるのだが、高齢化が進み、自分の親はどこそこの施設に入れただとか、誰それの親は痴呆が進み困っているだとか、そんな話ばかりになる。七十才を過ぎた自治会長が、長生きしたらあかんのか、などと、年寄りを世の中のお荷物のように厄介者扱いすることを詰るが、近いうちに、みんな我が身のこととなる。問題は、深い。

 英太の両親は、共に七十才になる前に死んだ。墓参りをしたが、生きていれば幾つになるのか、今生きていたならば、などと思いを巡らしてみる。親の生きていた時代と比べ、今は医学が進歩し、そう簡単に死なせてはくれないようだが、簡単に親が死んでしまうことも、悔いを残す。以前は、墓参りをしても心はさほど揺れなかったが、今は、日常の中で、身近に死んでいった人たちのことが、しばしば思い出される。

 自分が六十才も過ぎ、今、しばしば、死んでいった身内の人、親しい人たちのことを思い出すようになると、生きていることと死んでいることの違いが分からなくなる。確かに生きているのだが、死んでみたって似たようなものかも知れず、昼寝をしていると、目覚めた途端、自分の居場所が分からなくなって、遠い過去と現在との区別がつかなくなってしまい、もしかすると、今、死んでいたのかも知れないな、などと思ったりする。

 そうなると、あらゆることが、どうでもよくなって、なるようにしかならない、と開き直って、何の悩みも苦しみも迷いもなくなって、気持ちがせいせいして、その時は、一時気分が良くなったりするのだが、そんな気分になること自体、生来の怠け者で、無責任で、不道徳で、不真面目な自分自身の表象のような気がして、時に、ジェットコースターを滑り落ちるように鬱になったりする。

 コオロギもバッタもセミも蛙も猫も、自分たちの運命を知ってか知らずか、淡々と時を過ごしているようで、人だからこそ、煩悩に苦しみ、邪念に憑かれて、平静でいられないのだと解ってはいるのだが、とにかく卑怯で小心者で情けない我が身を思い、もはや、こんな自分は、もしかすると死んでいるのかも知れず、本当の自分は、かっこよく、どこか遠くで生きているのではないかなどと、戯けたことを考えたりする。

  俗縁を 切りて一時 昼寝する

2015年   8月29日    崎谷英文


ハクセキレイ

 朝目覚め、いつものように田んぼの様子を見に行く。玄関を開けると、小さな土ガエルが二匹、眠っていたところを驚かせたのであろう、慌てたようにぴょんぴょんと草叢の中へ飛び入っていく。

 表に出ると、ハクセキレイが一羽、のんびりと畑の隅に佇んでいる。英太は、鳥の名前もあまり知らず、この鳥をつい先日まで、いわゆるチドリだと思っていた。隣の岡田さんから、ハクセキレイだと教えられた。ハクセキレイ、もしくは、背が妙に黒いのでセグロセキレイかも知れない。スズメと同じぐらいの体長なのだが、スズメのようなずんぐりむっくりではなく、ずっとスマートで、尾が細く長く伸び、かっこいい。

 このハクセキレイを、チドリと間違えるのも無理はない。いわゆる千鳥足のようによたよたと歩き、飛ぶ姿さえ危なっかしい。本当のチドリと言うのは、海岸、浜辺に群れている鳥のことらしい。しかし、古くから、陸上の水辺近くにいるハクセキレイなども、チドリと呼び習わしていたのではないだろうか。ハクセキレイは、群れでいることはないようで、せいぜい二羽ぐらいしか一緒にいるところは見たことがない。

 田んぼに行くと、あれはトンビの小次郎だろう、英太の目の前、少し高く、ゆっくりと旋回している。時々羽ばたきながら、大きく羽を広げ、緩やかに風邪に乗って、青田波の上、青空の下、輪を描いている。川の上低く、シラサギが飛び上がった。

 鳥は自由だ。昔から、ずっと人々は、鳥に憧れていた。大地に足を着け、大地に支えられていなければ生きていけない人は、大空を自由に飛ぶ鳥を、いつも羨ましく眺めていたのではないだろうか。遮るもののない空中を縦横無尽に駆け巡る鳥たちを、人々は羨望の目で見ていたのではなかろうか。嫌になれば、何処へでも行けるのである。渡り鳥には、世界中を旅するものもあると言う。

 人は自由を求めながら、自由を保ちえているのであろうか。文明、科学技術が発達し、飛行機に乗れば、今は誰でも世界中に行くことができるようになった。さらには、ロケットに乗っていけば、鳥たちもかなわない無重力の宇宙にまで行くことができるようになった。では、それで人は鳥のような自由を得たのであろうか。時に空を飛べても、人の生活にそう簡単に自由はもたらされない。

 英太は、若い頃は年をとれば、しがらみから解放され、もっと自由になれるだろうと思っていたのだが、六十才を過ぎて、ますます不自由になっていくのを感じる。いまさら、鳥のように空を飛びたいとは思わないが、地上の動きも不自由になる。若い時のように、走り回り、飛び跳ねることはできなくなる。視力、聴力もゆっくり衰えてきつつある。これがもしかしたら、この世からの解放かも知れないが、自由でもなさそうだ。

 現代の生活は、自由と言いながら、どこか歪なような気がする。文明、科学の発達は、人々の生活の活動領域を広げ、豊かに、便利に、自由にしてきたのであろう。しかし、一方、この文明、科学技術は、新しい規制、不自由を生み出してもいる。先日の中学一年生が殺された事件で、防犯カメラが役に立ったらしい。そう、この世には、監視カメラが至る所にある。太市にもある。何か気持ち悪くないだろうか。

 自由だと言いながら、管理され監視されている社会になっている。窮屈で面倒臭い社会になっていないだろうか。鳥のようにおおらかに自由で、平等に自由な世界、ではなさそうだ。どこへ行こうが誰かに見られているような気がし、何かしゃべると聞き耳を立てられているような気がする。自由にやっていいよ、しかし監視しているよ、そんな世界になっているようで、気持ち悪い。

 監視社会でありながら、いや、だからこそか、生身の人と人との関係が空疎な社会になっていないだろうか。子供に声を掛けたら、防犯不審情報として流れてくるような社会である。人を信頼しない、人を疑わしく見る社会になってしまう。人を常に怪しく見るような社会は悲しい社会だろう。そんな社会では、他人に無関心であることが自己防衛になってしまう。

 田んぼの隅に、ハクセキレイが一羽いる。穂を出し始めた青田の中に隠れてしまった。

  病葉は 迷わず揺れず 落ちにけり

2015年   8月23日    崎谷英文


カラス

 立秋も過ぎ、久しぶりに雨になって気温も少し下がったようだが、じとじととした鬱陶しさを感じる。休耕田の草の刈られた跡に、カラスが数十羽、餌を漁っている。

 日本と言う国は、いったいどういう国なのか、つくづく考えてしまう。

 東日本大震災によって、福島の原子力発電所が崩壊し、周辺の人々の生活をこんなにも破壊したと言うのに、川内原発を再稼働させてしまう。故郷を追われた人々の避難生活は続き、放射能に汚染された大地はよみがえらず、原発事故の責任を誰も取らないうちに、原発が再稼働される。原発事故の責任はうやむやのうちに、福島の補償、復興は国民全員の責任、負担とされてしまう。

 新しい、世界で最も厳しい規制基準を設け、その基準をクリアーした原発は再稼働する、というのが、安倍政権の立場である。しかし、原子力規制委員会の田中委員長自体、安全を保証するものではない、と言い、政府もまた、電力事業者の判断で再稼働し、それを認めるのだ、と言う。つまり、全くの無責任体制。誰も責任をとる気はない。あの強気の安倍晋三は、どうして、原発再稼働の責任は私にあると言わないのか。

 太平洋戦争の責任が、一部極東軍事裁判で裁かれたが、彼ら数人のみの責任であるはずもなく、結局は、多数が責任を逃れ、あまつさえ戦後の権力を握り、戦中、一億総火の玉となり、戦後、一億総懺悔だとして、責任は、国民全員にあるとばかりにされてきたことと似ている。安保法制の成立によって、再び戦争が起こったとしても、誰も、責任をとる気はない。

 戦後、日本は民主主義国家になったとは言え、民主主義国家の体(てい)を成しているのか、甚だ疑わしい。日本人は、政治談議というものは苦手らしい。お上意識、上下意識、村意識、仲間意識、というものがあり、意見の対立を避け、特に政治的意見というものをきな臭いものとして、とにかく、和気あいあいと争いを避けようとする。職場の中で、安保法制や原発について議論することなど、タブーになっているのではないか。

 面倒な議論はなるべくしないようにして、仲良く、和気あいあいにやろうとするその精神は、日本古来から連綿と続いているのかも知れないが、その精神こそ、日本に国民主権、民主主義を根付かせない一つの理由ではないか。特に、今の生活に直接影響がなければ、政治がどうなろうと、それはなるようにしかならず、何とかなるだろうと言う傍観者的気分でいるようだ。

 政治談議はしないのが大人の流儀であり、政治談議を仕掛けることは、空気の読めないこととされる。しかし、そのようなことが、日本を悲惨な戦争に陥らせてしまったのではないか。もちろん、戦前の日本は、天皇と言う精神的支柱を押し付けられ、皇国日本を守り、強くすると言う精神を植え付けられていたのであり、今の日本とは異なるが、その代わりに、目先の経済的利益をちらつかされて、押し黙るのである。

 原子力発電においても、こんなにも惨たらしい経験をしながら、電力料金が安くなるとかいうような目先の利益に踊らされ、仕方がないと思わせられようとしている。誰も、絶対事故は起こりません、とは言わない。そもそも、広大な範囲での綿密な避難計画がないではないか、と言うこと自体、事故の可能性を認めている。そんな避難計画を立てなければならないようなことは、端から止めればいい、と言うのが普通ではないか。

 安保法制も、抑止力が戦争を起こさないのだと言うが、その実体は、全て、戦争が起ること、戦争に参加することの議論でしかない。いざどこかで戦争が起こったらどうするか、どんな時戦争に参加するか、ということを論じているのだとしたら、やはり、戦争の可能性を認めていることになる。抑止力というものは、武力の威嚇とほぼ同義であり、軍拡競争を高めるだけだろう。だから、日本は、戦争を放棄したのである。

 カラスたちが一斉に山に帰っていく。その声は、アホーアホーと聞こえる。

  盆踊り 板に付きたる 太鼓打ち

2015年   8月15日    崎谷英文


ツクツクボウシ

 熱帯夜の続く朝、早くもツクツクボウシが鳴いている。アブラゼミ、クマゼミなども一斉に鳴いているようだ。まだツクツクボウシの鳴き声は拙く、幼い。今日は、長崎に原子爆弾が落とされた日である。当時も、同じように蝉が鳴き、青空が広がっていたに違いない。先日の6日は、広島に原爆が落とされた日だった。一瞬にして、広島、長崎は焼け野原になり、人々は水を求めて彷徨い歩いた。

 原子爆弾が落とされたのは戦争のせいである。戦争というものがなければ、このような悲劇はなかったのだ。戦争は、結局、人々のいのちを奪い合い、生活を破壊していくものである。悲惨な戦争体験をした日本は、非戦を誓って戦後を生きてきたはずだったのだが、今、戦前に後戻りするような安保法案が、無理矢理制定されようとしている。なし崩し的に日本国憲法が無効化されようとしている。

 次の文は、自由と平和のための京大有志の会が、7月15日に読み上げた声明書である。新聞にも載ったものである。

 戦争は、防衛を名目に始まる。

 戦争は、兵器産業に富をもたらす。

 戦争は、すぐに制御が効かなくなる。

 戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。

 戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。

 戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせ

 る。

 精神は、操作の対象物ではない。

 生命は、誰かの持ち駒ではない。

 海は、基地に押しつぶされてはならない。

 空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。

 

 血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、

 知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

 学問は、戦争の武器ではない。

 学問は、商売の道具ではない。

 学問は、権力の下僕ではない。

 生きる場所と考える自由を守り、創るために、         

 私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくては

ならない。

      

 自由と平和のための京大有志の会        

http://www.kyotounivfreedom.com/

 古今東西、あらゆる戦争は、自衛のためとして始まった。日本は、今、武器を輸出しようとしている。太平洋戦争で、日本は、終わり方を間違えて、沖縄戦をし、原子爆弾の被害を受けた。人々を殺し、殺された人々を見た兵士たちは、心が平穏ではいられまい。太平洋戦争で人々は愛国心を植え付けられ、お国の為にいのちを捧げることを強いられた。辺野古の美しい海が、埋め立てられようとし、爆音が空を覆う。太平洋戦争の戦前、戦中、大学は戦争協力者になっていた。

 今、文部科学省は、儲からない学問を減らすようにしようとしている。戦前戦中と同じように、情報を隠し、政権の意に沿わない言論を封殺しようとしている。儲かるからと言って選挙で多数を得て、安保法案も賛同されたとして、強引に戦争をする国にしようとしている。

 ツクツクボウシが少し、その鳴き声が上手になってきたようだ。今日も、あの日のように暑くなりそうだ。

  武器持てば 使いたくなる 夏嵐

2015年   8月9日    崎谷英文


蜻蛉

 暑苦しい夜が明けて、窓の障子を開けると、ポトラがやってくる。梅雨は明けたようで、庭の木の緑が色濃く、葉が揺れているのかと思って見ていたら、ハグロトンボだった。黒く大きな羽をゆっくり動かして、その細い胴体をふんわりと石の上に落とす。羽は何処までも黒く、細い胴体は、油を塗ったように金緑に光っている。ポトラに餌を遣っていると、何時の間にか、ハグロトンボはいなくなっていた。

 山沿いの川の横にある小さな田んぼに行く。ここには、キヌムスメと言う新しい品種を植えているのだが、中干し(田植えから一か月ぐらいの時に、田んぼに足跡が付くぐらいに乾かすために、一週間ほど水を抜いておく。根の張りを強くし、土の中に空気を入れるためとか。)を、そろそろ終えて、水を入れることにする。

 隣の小さな田んぼの草が刈られているが、英太の田んぼの水が流れ込んでいて、水の残っていたような所が刈り残っている。久しぶりに田んぼに水を入れる。横の溝に板で堰をして、水口(みなくち)の土嚢を取り除く。コンクリートブロックを堰板の後ろに四つ程置くのだが、結構重い。慎重に身体を使わないと、足腰を痛める。案の定、久しぶりの動作で、腰を痛くする。

 中干しの間に、稲苗と畦の間に草が蔓延ってくる。それを適当に毟り取るのだが、これも重労働で、きれいにはできない。午前中とは言え、真夏の太陽の下で、じっとしていても汗がだらだらと流れ落ちる。田んぼの草取りの後、畦の草刈りを草刈り機でする。雑草の生い茂っていた畦が、きれいになっていく。蚯蚓が驚き、蛙が跳び出て、虫が飛び跳ねていく。

 畦の草刈りを済ませ、もうぐったりとして道に座って、ペットボトルの熱くなったお茶を飲む。夏になると、毎年、体重が2、3キロは減る。今年の夏も体重が減っている。今の時代、62才と言うのは、大して老人ではないのかも知れないが。年々、体力の衰えは感じる。若いつもりで無理をしていると、てきめんに方々身体が痛くなってくるので、注意しなければならない。

 田んぼに数十羽、アカトンボが舞っている。草取りをし草刈りをした後は、特に多くなる。隠れていた小さな虫たちが出てきて、トンボの獲物になるのであろう。少し離れた田んぼの上には、トンボはいない。除草剤を撒いた田んぼには、雑草は少なく、虫たちもいないのであろう。英太の田んぼは、雑草が虫を育て、トンボを育てている。よく見ると、シオカラトンボもいるようだ。

 太市にも、休耕田は年々増えている。この田んぼの隣の田んぼの持ち主は、確か高校の先生だったはずだが、数年前にお父さんが亡くなられてからは、ただ草刈りをするだけの田んぼになっている。今、田んぼで米を作っている人の多くが、英太よりかなり年上である。しかし、まだ太市は、山に囲まれた田園として、かろうじて残っていると言えようか。

 先日、吉田、宮野と久しぶりに、室津の港近くまでドライブをしたのだが、道中、この辺り、以前は田んぼだらけだったのに、と言う場所がとても多くなっている。田畑が宅地になって、新しい街になっている。それでいて、昔の村や町の中には、多くの空き家が生まれている。太市の村にも、多くの空き家があるらしい。子供の数は、減るばかり。

 何も、太市に、ただ人が集まってくればいいとは思わない。この太市が、街になっては困る。この村の田畑と山々が残っていくように、田園が荒れ果てないように、人々が集まってくればいい。開発、発展とは、田畑を潰して街にすることではなかろう。太陽と水と大地と共に生きていくと言うのが、人、本来の生き方ではなかろうか。しかし、そう思わない人も多く、街にしたがる。

 などと思ってみても、そんなのはただの田舎者の郷愁のようなたわむれごとかも知れない。今の人たちは、グルメを食べ歩き、いっとき観光地を旅し、スポーツジムで汗を流し、ネットゲームを楽しみ、スマートフォンを手離せず、ゴキブリを見て大騒ぎをする。

 アカトンボは、羽を広げて止まるのだが、ハグロトンボは、羽を上に閉じて止まる。その違いに、初めて気が付いた。

  よく見れば ハグロトンボは 緑なり

2015年   8月1日    崎谷英文


 梅雨が明けたと言うのに、夜中に大雨が降ったようで、畑が水浸しになっている中、トマトを採りに行くと、畑の下に小さな蛇が死んでいる。白い腹を上にして、首の下あたりが抉り取られて死んでいる。猫の仕業か、それとも、先日の草刈りで殺めてしまったのか、大地に生きるものは、運、不運の中で、いのちはいつどうなるものか分からない。

 人もまた、無常の中に生きているのだが、知恵あるにもかかわらず、むしろ死を遠ざけて生きているというのか、客観的には死というものを理解しながら、決して身近なものとしては考えられていないような気がする。自分自身は、いつまでも生きていると確信しているようで、遠くの戦争で死んでいく若者や子供たちのことは、何処までも他人事である。

 野生動物たちは、自然の厳しさの中で、覚悟して運命に付き従う。人もまた、確実に死にゆく運命なのだが、そのいのちを如何に有意義に長く保つかに腐心してきた。動物たちは、普通、同種同族の間では、殺し合ったりしない。知恵のある生き物たちこそ、しばしば残酷になり、チンパンジーなども、時に仲間を殺めると言う。

 しかし、最も残酷なのは、人であろう。何やかやと勝手な理屈をこねくり回して、殺し合う戦争を正当化して戦争をしてきたのが人である。やっと気が付いて、何があっても戦争をしない、殺し合わない世の中にしようとしてきたはずなのに、今、また、戦争を正当化しようとしている。

 「アベ政治を許さない」と言うポスターを持って、安保法制に反対するデモの映像が映し出されている。これは、作家の澤地久枝氏、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏など、数百人の文化人たちが中心となっている安保法制に反対する者たちのプラカードになっている。

 「アベ政治を許さない」、この文字を書いたのは、中学校の教科書にも載っている俳句、「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」でも有名な、金子兜太氏である。今、憲法学者はもちろん、多くの学者、文化人たちが、安保法制に反対、を訴えている。何も有名人たちが言っているから正しいに違いないとは言わないが、やはり、どう考えても、安倍晋三たちのやろうとしていることは、戦争への一里塚である。

 このインターネットの時代、英太も付いていくのがやっとなのだが、あの「アベ政治を許さない」というポスターは、パソコンからプリントアウトすることができる。今、大衆行動というものは、インターネットを抜きにしては語れない。60年安保、70年安保の時代とは様変わりしている。ネトウヨ(ネット右翼)族なども、言いたい放題を、ネットに書き込んでいるようだ。

 もう一つ、今、あかりちゃんの、教えてヒゲ隊長、と言う自民党参議院議員、元自衛隊の佐藤正久氏の造った漫画があるのだが、それをパロディ化した、ヒゲの隊長教えてあげる、と言う漫画が面白い。インターネットで見ることができる。

 そこでは、世界情勢が緊迫しているからそれに対応しなければならない、に対して、対応しようとするから余計に緊迫するのだ、ミサイルは日本に向けられている、に対して、昔から向けられている、ミサイルが日本に打ち込まれたらどうする、に対して、それは個別的自衛権でできる、スクランブル発信が10年前の7倍になっている、に対して、冷戦時はもっとスクランブルをやっていた、最も少ないときと比べるな、などと、極めて妥当なあかりちゃんである。

 ケンカの強い僕でいたい、と言うような単純な感覚が、安倍晋三たちなのであろう。弱りつつあるアメリカの肩代わりをさせられ、喜々として肩代わりをしようとしている。

 戦争をしない国であることが、日本が戦争に巻き込まれない最も強力な抑止力であろう。戦争をしない国であるからこそ、テロに狙われないのではないか。アメリカと一緒になるなら、テロに狙われそうではないか。あかりちゃんの言うように、テロの根本原因を探らなければならないのではないか。

 あかりちゃんの言うように、経済的徴兵制(貧しい若者を金銭的優遇により兵隊に誘う。アメリカがそれに近い。)を安倍たちは視野に入れているのか。

 老人は死ぬ。しかし、若者は死んではいけない。若者が、人間の仕業により死んでいくような世の中にしてはならない。そうでなくては、老人は、死んでも死にきれない。

 次の日、蛇の死骸はなくなっていた。

  突かれし 蛇の骸の 腹白し

2015年   7月26日    崎谷英文


 台風一過、早い朝の内は、まだ空はどんよりと曇っていたのだが、昼近くになり、庭の木々にくっきりと枝葉の影が濃くなり、その明暗のコントラストが眩しい。昼食を食べてうとうととしていると、蝉の声がした。ニイニイゼミだろうか。幼く拙い声。初蝉か。梅雨が明けると蝉が鳴く。昔の人の言うとおり、昨日の台風は、梅雨の終わりを告げるものだったのだろうか。

 台風は(颱風)は、俳句では秋の季語である。二百十日(今年は9月1日)、二百二十日(同9月11日)頃を台風の時季として古来より言い習わし、9月1日は今、防災の日にもなっている。しかし、台風のやってくるのは、秋とは限らず、立秋前にも台風はやってくる。今年も、もうすでに11号が昨日やってきて、12号も近づいていると言う。自然は、決して人の都合に合わせてはくれない。秋深く、台風が来ることもある。

 この台風、今回はその大雨が、四国、近畿を襲い、ここでも今まであまりなかったことだが、姫新線が一日中動かなかった。田んぼは、今中干し中なのだが、この雨で、少し期間を延ばさなければならないだろう。いくら科学文明が発達しても、自然の仕業には、謙虚に悠然、泰然と構えるしかない。焦ってはいけない。

 しかし、人間の仕業には、ただ黙っているだけではいけない。安保法制が、衆議院を通過した。日本が戦争をする国に戻りつつある。アメリカの行なう戦争に、日本が巻き込まれていく。

 かつて、アメリカは世界の警察官として、強大な軍事力を背景に、自らの正義と信じるところを、実は自分勝手な正義なのだが、世界中に押し付け、アメリカの利益、既得権益を守り広げようとしていた。今、そのアメリカが、その力の余裕を無くし、その力の一端を日本に負わせようとしているのである。

 日本は、それを良い機会、契機として、安倍晋三、国家主義者たちが、強い日本、アメリカとの対等な関係を作り上げようとし、さらには、将来、日本国憲法を改正して堂々と軍隊を持って戦争のできる国にしようとし、その入り口として集団的自衛権を持とうとしているのである。

 そもそも憲法違反であるが、既成事実というものは強大な力を持つ。ひとたび法律が成立してしまうと、そして、特にそれが外交、条約と絡む時、その改正はそうた易くはできなくなる。小賢しいナショナリストたちは、どさくさに紛れて安保法制を成立させることにより、既成事実として日本を戦争をする国に仕上げようとしているのである。

 自衛隊、日米安保による米軍駐留も、既成事実として積み重ねて、善悪は抜きにして定着してしまったと言うしかない。

 同じ流れであるが、違憲であることを最終的に判断するのは最高裁判所である、などと言って、ほとんどの憲法学者が違憲であると言うのを斥けようとしているのは、如何にも姑息である。抽象的憲法判断のできない最高裁判所であり、安保法制が成立しても、直ちに具体的権利侵害は認められないだろうと高を括り、いざとなれば、鼻薬を嗅がせた裁判官にしてしまえばいいと思っていること、間違いない。

 日本が、かつて柳条湖事件で、満鉄を日本軍により爆破しておきながら、中国軍のやったこととして満州事変を起こし、中国侵略を計ったように、かつてアメリカは、捏造によりトンキン湾事件を起こしてベトナム戦争をし、大量破壊兵器がなかったのにあるとしてイラクを攻めたのである。アメリカが正しいと誰が保証する。日本が再び侵略国になるかも知れないのである。

 素朴に言おう、三輪明宏氏の言うように、武力を行使するなら、自衛隊の最前線に安倍晋三が立つべきだ。現代兵器だから、力のない老人でもボタン一つで攻撃できるのだから、相手の攻撃を受ける真正面に安倍晋三は立っていればいい。

 かつてブッシュ大統領は、フセインに「かかってこい」と言ったのだが、自分は遥か遠くにいて、何と卑怯な言い分かとあきれたことがあるが、よもや現大臣、自民党議員、公明党議員は、そんなことは言わないだろう。きっと最前線に行ってくれることだろう。

 昼過ぎに蝉の声を聞いたのだが、今は聞こえない。

  初蝉や 嵐の後の 空を撃つ

2015年   7月19日    崎谷英文


アオサギ

 田植えをすると、と言うより、田んぼに水を入れ代掻きをしてからであろうか、田んぼに鳥が集まってくる。土の中に隠れていたミミズやいろいろな虫が、土の上に這い出てくるのであろう、鳥たちが、それらを狙って舞い下りてくる。あちらの田んぼには、シラサギがいる。同じ田んぼの反対側にカラスがいる。カモもいる。こちらの田んぼには、アオサギが二羽、仲良く水の中を突っついている。

 田植え前に、畔の草刈りはしていたのだが、ひと月近くも経つと、雑草の背は高く伸び、水田に傾き落ちそうにまで蔓延ってしまう。昔は、この畔に大豆の種を蒔いたりしていたのだが、今は誰もそういうことはしない。英太は、今度やってみようかなと思ったりする。草刈り機を肩に掛けて、ゆっくりと草を刈っていく。畔シート(水が漏れ出ないように畔に沿って差し込んだもの)を切らないように、丁寧に。

 日曜日、のんびりと草を刈っていると、いつの間にか暮れなずむ。いつの間にか、さっきいたアオサギがいなくなっている。川を挟んだ山の方を見ると、青い色が点々としている。アオサギの巣は、木の上にある。そろそろ、アオサギは眠りにつこうとしているのだろう。

 田植えをしたばかりの田んぼでは、大きなアオサギは、その足で苗を踏んづけてしまうこともあるらしいが、この時期は、その心配はない。苗も大きくなっていて、踏みつけられても大丈夫。田んぼに飛んでくる鳥は、別に悪さはしない。雑草を食べてくれたりもするだろうし、害虫の退治にも役立っているだろうし、鳥の排泄物は、早苗の養分にもなるだろう。

 農薬を使わない方が、鳥も安心してやってくる。豊岡の方では、コウノトリを自然繁殖させるために、農薬を使わないように呼びかけているらしい。鳥だけではない。ザリガニやゲンゴロウ、アメンボなども、きれいな水が好きである。赤トンボもきれいな水が好きである。これは、農薬のない所には、小さな生き物が生きていて、それらを餌とする生き物も集まってくるということが大きい。

 科学文明は、人の生活を便利にし、豊かにしたかも知れない。しかし、その便利さと豊かさの陰で、何かが失われているのも事実である。

 農薬を使うことによって、作物の病気を防ぎ、害虫を退治し、雑草を生えないようにすることはできるかも知れない。しかし、農薬使用により、本来、時に苛酷な生存競争にさらされながらも、太陽と水と土の自然環境の中で、共存共生してきた生き物たちが、住処を失ってしまっているのではないか。それは、元々地球の持っていた豊かさ、柔軟性というものを壊してしまうということではないだろうか。

 また、科学文明が人の生活を便利にし、豊かにしてきている一方で、人の身体能力が衰えてきているのではなかろうか。多くのことを、スイッチを押し、捻るだけで、機械がやってくれて、人は、機械操作の取扱説明書を読むことばかりに苦労する。自ら火を起こすこともできず、自分の手で材料を切り揃えることもできず、箒さえも使えなくなっている。

 衣食住のほとんどすべての領域において、自らの身体を使って、言わば手と足と頭を使って、必要なものを自ら作り出すということができなくなっている。科学文明は、分業化でもある。衣も食も住も、それぞれの専門家に任せ、金を出して手に入れればいいということに今なっている。そうなれば、金さえあればいいのであって、自分の手足を使う必要などさらさらなくなる。

 人も、本来は野生であって、自然の中で生きてきたはずだ。例えば、電気が止まらないようにすることよりも、電気がなくても生きていくことのできる能力を取り戻せばいいのである。金など、紙か金属でしかない。本来生きていくのに必要なものは、すべて自然の中にある。

 夜遅く仕事帰りに、トラックに乗って田んぼを見て回ると、田んぼの中に一羽のアオサギが光の中に浮かび上がってきた。鳥は、夜は目が効かないのではなかったろうか。見えない中で、餌を漁っているのだろうか、それとも文明の光に迷い出てしまったのか。

  田草取 鴉の山に 帰る頃

2015年   7月11日    崎谷英文


 裏の、家を取り壊した跡の空き地に、五、六十羽の鳩がいる。地面に落ちている雑草の種であろうか、みんな首をちょこんちょこんと下げてついばみ、ちょこちょこと動き回っている。そこは、一週間前には、ノギクやノアザミなどが咲き乱れていたのだが、つい先日、元の家の人が、草刈り機で全部刈り取ってしまっていたのだ。

 鳩と言っても、色々なのがいる。全身が黒っぽいのや、灰色がかったもの、黒と白のツートンカラーのような鳩など、様々である。さっきまで、五、六十羽いた。今見るといない。すると、梅雨空を背景に、鳩の群れが編隊を成して飛んでいるのが見えた。さっきここにいた鳩たちであろう。

 鳩の種類については知らない。土鳩、山鳩など、野生の鳩もいるであろうし、今どうなのか知らないが、昔鳩を飼う人が多くいて、その幾つかが今は野生化していて、それらが交じり合って、一つの編隊を組んでいるのではなかろうか。だとすれば、鳩は、やはり、平和の象徴とされているように、平和的な生き物なのかも知れない。

 それに比べて、人間というもののおぞましさが思われる。国家間、民族間の戦争を繰り返してきた人間の歴史は、とどまるところを知らず、地球上で戦争というものが一時でも、全くなくなった試しはないのではなかろうか。いつもどこかで戦争が行われていて、誰かが殺し、誰かが殺されているのが世界の歴史であり、現在もそれが続いている。

 今、安保法制の国会中継を見ているのだが、安倍晋三という人は、日本語の会話ができないのではないかと思ってしまう。簡潔に答えてください、という問いに対して、まるでオウムのように、新三要件、新三要件、と唱えて、肝心の問いに答えない。同じ言葉を繰り返すばかりで、丁寧に説明するとは、同じことを何度も言うことだ、と思っているようだ。

 安倍晋三の祖父(母方)は、岸信介である。岸は、日本が真珠湾攻撃を決定、決行した時の商工大臣であった。戦後、A級戦犯被疑者として捕らえられ、巣鴨プリズンに収監された。その後、1948年に不起訴となって釈放されたのだが、公職追放を受けていた。サンフランシスコ講和条約締結によって追放解除となり、1957年、首相になった。そして、1960年の日米安保条約の改定をして、辞職した。

 岸は、太平洋戦争を、つまり真珠湾奇襲攻撃を含め、自衛戦争だ、侵略戦争ではない、と主張していた。自分自身が関わった戦争を正当化したかったのだろう。安倍は、このおじいちゃんが大好きで、とても尊敬しているらしい。何とかして、侵略、植民地支配という言葉を、自分自身の口から出さないように、と思っているようだ。政治、外交を私物化している。

 砂川事件の最高裁判決の傍論を、集団的自衛権の根拠であるかのように、政府は言う。砂川事件とは、1957年3月、東京立川(当時、砂川町)の米軍基地の拡張に反対するデモ隊の学生七人が基地に侵入したとして、安保条約に基づく行政協定による刑事特訴法違反として捕まった事件である。そこでは、日米安保条約が憲法九条に違反するかどうかが争われた。

 一審のいわゆる伊達判決は、1959年3月、安保条約による米軍駐留を憲法違反として、被告人たちを無罪とした。1960年の安保条約改定を控え、アメリカは、日本政府、最高裁に圧力をかけ、1959年中に合憲であることを明確にするように飛躍上告をさせ、同年12月に、最高裁は、傍論で自衛権を認め、安保条約を極めて政治性の高いものとして統治行為論により、違憲判断をしなかった。1960年1月、安保条約は改定された。

 当時、武力による個別的自衛権さえ問題だとされていて、最高裁は、正当防衛のような個別的自衛権を傍論として認めたのであって、集団的自衛権は争点ではなく、それが認められないのは自明のことであったろう。この判決を集団的自衛権の根拠とすることなど、到底できない。

 アメリカは、大量破壊兵器の存在を理由にイラク戦争を仕掛けたのだが、大量破壊兵器はなかった。しかし、誰も責任を取らず、それに関与した日本も反省しない。このイラク戦争が、今のイスラム国の出現の大きな原因であることは間違いない。

 かつて、アメリカと戦った日本が、今度はアメリカと一緒に戦争をすることになるのか。おぞましい。

  鍬打てば 蚯蚓這い出る のたくりて

2015年   7月4日    崎谷英文


憲法の危機

 偶々、昼の民放のテレビ番組を見ていた。与党が安保法制の成立のために、95日間の国会延長をしたことについて座談をしていた。政治評論家が二人交じりあれこれ言っているのだが、へらへらと笑って、政府はこの法案を60日ルールを使ってでも必ず通す気でいます、そして通ります、などとへらへらと言っている。

 今の評論家というものはこういうものかと思って、改めて情けないものだと感じた。こういった政治評論家たちは、政治の動向をゲームのように考え、戦略、戦術を分析して、どうです、良く解っているでしょう、と世間にひけらかすことを職業としているのだから、仕方がないと言えば仕方がない。こういった政治評論家たちは、世の中、社会が善くなるのか悪くなるのかには、関心がないようだ。

 特定秘密保護法が成立し、政府、政権党がマスメディアにいちゃもんをつけ、公正公平な報道を、と言いだして、テレビ局も番組構成において、論評の自粛をし、報道は委縮しているようだ。安保法制を正面から批判する人たちは、敢えてコメンテーターとしては外されている。安保法制の内容への解説、評価などには、なるべく言及しないような番組編成がなされている。

 日本人は、そもそも、国民主権、民主主義の意味が解っているのかと思う。憲法というものをなし崩し的に壊し、戦争をする国にしようと政権与党が画策している時に、国民は面倒なことは避けようと、そんなことは他人事とばかりに、自分たちの生活に浸りきっている。マスコミ、マスメディアも、世間の井戸端会議的な話題になるような事件ばかりを追って、視聴率を上げることばかりに執着している。

 実は今、とんでもないことが起きようとしている。日本国憲法の、中学生の教科書にも書いてある大きな三つの柱、基本的人権の尊重、国民主権、戦争放棄(平和主義)が三つとも今、危機に瀕している。

 基本的人権の自由権の中の最も重要な、表現の自由というものが、今危機に陥っている。表現の自由というものは、文化的にも、自己実現においても、最も重要なものであるが、国民主権、民主主義においてこそ、その根幹をなす大切なものである。自由な批判、自由な発言、自由な報道が確保されてこそ、自由な政治参加ができるのであって、民主主義においてこそ、表現の自由は、最大限尊重されねばならない。

 今しも、自民党の議員の集まりで、安倍のお友達の百田氏が、「沖縄の二つの新聞社は絶対に潰さなあかん」とか、安倍応援団の自民党議員が、「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番。経団連などに働きかけてほしい」などと、とんでもないことを言っている。国民主権、民主主義の意味を知らない者たちの、傲慢なおごりの精神の本音であろう。

 人やマスコミの表現、報道が気に入らなければ、自分たちの更なる表現、報道によって人々を納得させるようにする、いわゆるモアー・スピーチ、というものが表現の自由の根本的精神である。他人の表現自体を止めさせようとすることは、言論弾圧であり、脅迫的犯罪行為になる。大人しい国民やマスコミを委縮させようとしているのだろう。

 国政選挙の投票率が50%を切ってしまっている現状は、国民主権とは言えないであろう。国民は、日々の生活に浮かれ、汲汲として、どこか遠くで国の政治が行われている、と思っているのではないか。世界遺産だ、オリンピックだ、と一見誇らしげで派手なことにわくわくし、早晩破綻するであろう一時の景気の気分に惑わされているその裏で、戦争する国が作られようとしている。

 様々な公約が掲げられた選挙において、一つ一つの公約への賛否は問われず、国民は身近なことで投票してしまう。先の選挙では、景気が最大の課題で、国民はそのことで投票して今の政権があるのであろう。安保法制は、公約の片隅に書かれていたに過ぎず、選挙の重要課題ではなかった。しかし、安倍は、国民の同意を得た、と言い張る。民主主義の恐ろしさはこういう所にもある。

 国民が愚かであれば、愚かな指導者が現れ、愚かな国家が作られる。自由は制限され、国民主権は名ばかりとなり、戦争の準備が進む。

  夾竹桃の 今しも花の 散りゆかん

2015年   6月27日    崎谷英文


ポトラの日記16

 梅雨らしい日が続く。雨が降ったり止んだりして、時に短時間だが激しい雨になったりして、きれいな青空というものを暫く見ていない。今朝も目覚めると、しとしとと雨が降っていて、相棒がお遊びのように作った野原の中の小さな田んぼに、ぽつりぽつりと同心円の輪を作っている。

 梅雨時の雨は、百姓にとってありがたいことなのだが、余りに日が照らないのもよろしくない、と相棒は言う。夏の野菜の生長が悪くなるらしい。一時は真夏のように暑くなっていて、このままだと、7月、8月にはどんなに暑くなるのだろうと心配したほどだったのだが、梅雨寒というのか、低い気温が続いていて、それも野菜の生長には良くない。全国的にも雨が多く、気温が低く、野菜の値がまた上がるのではないか。

 それでも、このじめじめした天気は、雑草にとっては嬉しいらしく、相棒の畑は、草刈りをしても、直ぐに雑草の天国になっていく。雑草というものは、実に生命力のある連中で、少々の環境異変など何するものぞとばかり、しぶとく逞しく蔓延る。相棒の仕事場の裏の家を取り壊した空地には、ノアザミやノギクが花園のように咲いていると言う。

 僕たち猫にとっては、余りに暑いのも困るのだが、こう長くじめじめした日が続くのも、気分は良くない。山の景色もぼんやりしていて、緑はぼやけ、灰色の世界のようになっていて、気分が滅入る。僕たち猫もそうかも知れないが、人間たちも、作られた仕組まれた世の中の安穏とした生活に慣れきっていて、雑草のような本来持っているはずの生命力を失いつつあるような気がする。

 昨晩、相棒は奥さんに言われたらしい。隣の吉田さんに網干メロンの苗を二本貰って植えているのだが、その苗が大きくなっていて、吉田さんに、周囲に藁を敷いて、虫除けに網を被せた方がいいですよ、と言われたそうだ。主人に言って下さいと言うと、言っているんだけどね、と吉田さん。せっかく苗をあげているのに、きちんと世話をしていないのだから、吉田さんも気分が悪かろう。奥さんも頭を下げるばかりだったらしい。

 相棒は、怠け者だから仕方がない。放っとけばいいのだ、できるものはできるし、できないものはできない、どうってことはないのだ、と思っているふしがあり、全く不誠実極まりない。吉田さんが怒り、奥さんが怒るのも無理はない。

 吉田さんと言えば、別の吉田さん、相棒の友人の吉田さんが、心臓の手術をしたと言う。時々この家にも来ていて、布袋さんのようなお腹をしている人で、よく酒を飲む。余りに太り過ぎではないか、と母のダラとも話をしていたのだが、偶々受けた健康診断で、三本の冠状動脈の内の二本が詰まっていると分かったらしい。このままだと、何時心筋梗塞になって心臓が止まるか分からない。手術をした方がいいと言われたらしい。

 吉田さん自身、症状、身体の異常は全くなく、本当かしらと訝って、詐欺脅迫のようにも感じたらしいが、まともに反論する程の根拠もなく、手術に同意したのである。実際、心臓に症状が出て止まってしまうのが、数年後か十年後か二十年後か三十年後か、医者も分かりはしないのだが、医者も検査で冠状動脈が詰まっているのを見れば、一応の最善策を告げるしかなかったのだろう。

 肩と足から二本の静脈血管を切り取り、詰まった冠状動脈にバイパスを掛けるという手術は、胸を切り開き、胸骨を切り、心臓を止めて、人工心肺装置を使って行う大掛かりなものだったのだが、成功したらしく、相棒は喜んでいた。暫くは、ICUに入っているらしいが、家族のふりをして見舞うと、冗談を筆談で語っていて、ひと安心。吉田さんの奥さんもほっとしたらしい。

 今日は、父の日、相棒の息子さんが、相棒のためにカレーを作ってくれるそうで、相棒は喜んでいる。明日は、夏至、一年で一番昼の長い日なのだが、まだまだ鬱陶しい日々が続きそうだ。

  人去りて 花園ならん 家の跡

2015年   6月21日    崎谷英文


交換可能性

 何故人を殺してはいけないのか、と問われた時、どう答えられるだろうか。多分、あらゆる宗教において、その基本的教えの先ず第一に、人を殺してはいけない、と書かれていよう。しかし、宗教の専門家でないから正確ではないかもしれないが、人を殺してはいけない理由というものは、どの宗教も詳らかに解説しているとは思えない。つまり、人を殺してはいけないことは、説明するまでもなく、自明のことだと言うことなのか。

 多くの人も、人を殺してはいけないことは、当たり前のことと言うかもしれない。しかし、世の中には、まれに、平気で人を殺すことのできる人もいるかのように思える。しかし、そういう人たちも、人を殺してはいけないことは知っているので、容易に行動には及ばない。それは、そういうことをすると、罪を問われ、責任を負わされる危険があることを知っていると言うことで、罪に問われなければ、人を殺すかもしれない。

 推理小説、刑事ドラマなどでよく言われる完全犯罪というものは、罪を問われないように犯罪を犯すということで、アリバイ作りなど、様々なトリックを用いて犯人が犯人として認知されないように、巧みに仕組まれた犯罪と言えよう。やはりそこにも、罪を問われないということが、人を殺すインセンティブを高めていると思われる。

 しかし、罪を問われなければ、人は人を殺しても平気なのだろうか。そうではあるまい。どんなに動機に同情されるべきものがあり、殺されるその人が殺されても当然の憎むべき悪辣非道の人だとしても、その人を殺すことに人は平気ではいられまい。普通の人は、そうではないだろうか。いくら相手が悪人で、自分が酷い目に遭わされたとしても、人は、そう簡単には人を殺したりしないのではないか。

 人が人を殺すには、余程の事情がなければならない。人は人を、そうた易く殺めることなどできないのだと思う。人を殺すことが悪いことだと知っている、あるいは、そう教えられているから、人を殺すことに抵抗がある、のではない。殺す相手が、自分と同じ人だから、人は人を殺せないのではないか。自分と同じ人を殺すことに、躊躇いが生じるのである。

 同じ人なのである。如何に極悪な人だとしても、同じ人として殺してはいけないと感じるのではないか。同じ人なのである。この世に生を受けた同じ人なのである。僕は僕で、君は君であるが、僕は君でもあり、君は僕でもある。交換可能な人同士なのである。今、偶々僕は僕なのだが、僕が君であっても不思議ではない。君は君だが、僕であっても不思議ではない。

 人は他人に共感し、同情する。小説で、ドラマで、悲しい人を見れば、自分も悲しくなる。主人公の苦しみを共有し、楽しみを分かち合い、優しさに心を癒される。頑張っているのに報われない人を見ると応援したくなり、理不尽に虐げられている人を見るとかわいそうになり、虐げている人に怒りを覚える。他人の経験で、自分自身が経験していることではなくとも、人は心を動かされる。

 人は人の心を思いやり、共感する力を持っている。人のことを自分のように感じる心を持っている。相手が人である限り、思いは分かち合えるはずだ。てめーら人間じゃねー、たたっ切ってやる、という台詞の時代劇があったが、この言葉こそ、相手を人間じゃないと思わなければ、人は殺せない証かもしれない。

 孔子の言葉に、己の欲せざるところ他人に施すことなかれ、というのがある。これは、やはり、相手が同じ人であることを言っている。自分が特別でありうるわけもなく相手と同じ交換可能な人同士なのであり、自分が相手に対してやろうとすることが、自分に向けられたら自分が困るようなことであるなら、そういうことはしてはいけない、ということを言っている。

 このことを突き詰めれば、当然、人は人を殺してはいけないということになろう。自分が殺されたくなければ、人を殺してはいけない。当たり前のことになる。

 戦争は、狂気を作り出す。人を殺すという非人間的な行ないが、もちろん罪に問われず、何故か正当化されるのである。その狂気が狂気を増幅し、平気で人を殺し合うようになるのが戦争である。

 日本人を狂わせようとする企みが、今、始まっている。

  夾竹桃の 一片の花 落ちにけり

2015年   6月14日    崎谷英文


十人十色

 少しばかりの野菜を作っているが、毎年が一年生で、去年と同じように種を蒔き、苗を植え、水を遣っているのだが、去年と全く同じようには育ってはくれない。トマト、キューリ、ナス、ピーマンなど、同じような時季に苗を植えるのだが、それぞれの種によって個性があり、上手な人は、それぞれの種に合わせて丁寧に育てている。

 

 しかし英太は、適当に植え、適当に水を遣り、おしまいである。それでも、少しは勉強するもので、トマトは、余り水を遣ってはいけないだとか、脇芽を取って挿し木のように隣に植えておけば、それが育つのだとか、ナスは、一度収穫が終わりそうな時に、上の方の枝を切ってやると、また実を付けるのだとか、覚えていくこともある。

 だが、トマトの苗一本一本にも、また個性がある、隣に植えた同じ種のトマトの苗が、同じように育つとは限らない。今年も、何故か、一本のトマトは、早いうちに枯れそうになっている。上手い人になると、そのそれぞれの個性をまた見究めて、それぞれに合った上手な育て方をするのであろう。同じ畝であっても、土が同じでないことも関係しよう。

 人もまた、同じようなものかも知れない。人は、それぞれ個性を持って生まれてくるのだろう。子は、親から受け継いだその子に与えられた個性というものを潜在的にもって生まれてくるのだろう。そして、また、その子の育つ環境というものは、その時代、その国、その社会、その地域、その家庭によって様々だと言える。善悪の問題ではない。生まれ持った能力の問題でもない。単純な教育の問題でもない。

 人は人として尊重される。間違えていけないのは、人が他の生き物より偉いのではない。少しは賢いかも知れないが、人は、他のあらゆる地球上の生き物たちと共生しているのであり、決して人のみでは生きてはいけない。地球上のあらゆるものと、遠くあるいは近く関係を持ちながら、人は生きている。その意味では、現代人は、傲慢になっている。地震、火山の爆発、異常気象、MERSなどの新しい病気、人は何も解っていはいない。

 人同士も、貴賎はなく、支配、被支配もなく、あらゆる人々は同じように尊重される。生まれついての悪人はいないと信じるし、もって生まれた能力の差で人の価値が決められる訳がない。人は、千差万別の個性を持ち、千差万別の人が寄り集まって、人の社会というものがある。だとしたら、十人十色、それぞれの個性が尊重され、その個性が発揮されるような社会であるべきだろう。

 監視社会、管理社会と言われて久しい。人の自由というものが、見かけ上は尊重されていながら、実は、文明は、人を監視し、管理していくようにできているのか、あからさまではないが、目に見えない檻の中に閉じ込められているような、どうも生きていくのが窮屈に感じられないか。サファリパークの動物たちは、自由に見えて、実は自由ではあるまい。

 至る所に監視カメラがあり、何処で盗撮され、何時盗聴されているかも分からず、インターネットを利用したら、誰が何を買ったか直ぐに知れ渡り、これでもかとばかり類似商品宣伝の画面が広がり、コンビニでカードを使うと、その集まったビッグデータと呼ばれるものは、個性ある人々を、ただの統計資料として扱う。人々は、記号化され番号化されていく。

 マイナンバー制度というものが作られるそうだが、英太は英太でなくなり、1234567890番さんですね、と呼ばれるだろう。

 個性を剥ぎ取ることと道徳教育の押し付けは同じことかも知れない。愛国心だ、親孝行しろ、他人に親切にしろ、などと言う教え込みは、結局は、為政者にとって都合のいい国民を作り上げようとしていることに相違ない。つまりは、国民は自分自身の行いを反省していればいいのであって、国家のやることには大人しく従えと、誘導しているのである。

 だいたいが、憲法の条文もきちんと読めずに、牽強付会の解釈をして憚らない総理大臣Aが、つまり、憲法を守れないAが、法の支配を世界の中で演説するなど、お笑い草でしかない。

 もっと言いたいのだが、ここまでにしておく。

  何気なく さり気なく咲く 夏の野の花

2015年   6月7日    崎谷英文


近江吟行

 京都を抜けて、大津を経て、瀬田川を渡る。近江は、昔から近江米で有名だったと思っていたのだが、列車から見る近江の里には、麦が多く育てられている。大麦も小麦も共に栽培されているようだが、麦の秋、焦げ茶色に実った麦畑が一画を占めているかと思えば、隣には、稲を植えたばかりの水田が一画を占めている。麦と稲が交互に並ぶ、不思議な光景である。

  田植えして 近江の里に 水光る

 後に、タクシーの運転手さんに聞いたことだが、近江では、一つの土地で、麦と米を交互に作っているらしい。二毛作をするのでもなく、麦を作った田んぼは、次の年、米を作り、米を作った田んぼは、次の年、麦を作る。今年の、近江の稲の新種は、ミズカガミと言うらしい。湖を臨む地に相応しい名である。

  山映す 水田の波や 山揺れる

 長浜に着いて昼の食事をして、彦根に戻る。彦根城は、江戸の初期から続いた彦根藩主井伊家の居城である。幕末の大老、井伊直弼で有名である。220年続いた鎖国を開国に導いた直弼であるが、大きな時代の流れの中で、その決断には相当の覚悟を必要としたであろう。天守に登ると、彦根の街の向こうに、琵琶湖が広がる。

  湖望む 天守確かに 夏の影

 琵琶湖には、100以上もの川から水が流れ込んでいると言う。そして、その出口は、本来、瀬田川だけである。瀬田川は、京都の宇治川に繋がり、さらに淀川へと流れ、大阪湾に行き着く。人工的に作られたもう一つの出口が、琵琶湖疏水であり、京都の東山を流れて京都を潤す。彦根城の紅葉は、まだ青々としているが、よく見ると竹トンボのような花が咲いている。田植え体験で名古屋から来たと言う中学生たちが喧しい。

  学生の 声に聴き耳 紅葉花

 長浜のホテルに戻り、湖に沈みゆく夕日を眺めながら夕食をとる。総勢12人の吟行で、男性3人、女性9人、主催するタケシさん、遠く大分から来ているケイコさん、千葉の船橋周辺からの数人が来ていて、世話役をやっている可愛いマキエさん以外は、みんな英太より年上である。みなさん、俳句が達者で、元気で若々しい。英太は、道人と来ているのだが、英太は、全くの小僧っ子で、大人しく畏まるしかない。

  冷酒の 似合う夕日や 赤い湖

 次の日は、姉川を経て、向源寺に向かう。十一面観世音菩薩立像を見る。観音菩薩は、三十三の姿に変化して衆生を救うと言う。そこから、十一面観音も千手観音も造られるようになったらしい。向源寺の十一面観音は、実に色っぽい。戦国の戦乱から守る為に、地元の住人達が、土中に埋蔵して、その難を免れたと言うその像は、黒く光りながら、腰をひねらせた官能的な姿態で、英太は暫し見とれる。

  観音に 罪を暴かれ 背に汗

 どんなに時を経て、文明が進歩しようが、人の悩みは尽きることはない。古の人々の観音へ救いの願いは、今のこの世も同じである。罪深き英太であるが、長く伸びた観音の右腕に拾われるであろうか。観音の頭のうしろの一面、暴悪大笑相に手を合わせる。

 向源寺から石道寺に行き、もう一つの十一面観音を拝し、その後、余呉湖に行く。余呉湖は、琵琶湖の北にある琵琶湖と離れた小さな湖である。初夏の光を浴びた湖面には、さざ波が立ち、湖岸には、きっとどこかの絵画グループの人たちであろう、思い思いに夏を描いている。牛蛙が小さく鳴いている。

  余呉の湖 夏を画く人 岸を占め

  さざ波に 応え静かに 蛙鳴く

 一行と別れ、その日は、道人と痛飲し、翌日、近江八幡の水郷めぐりに合流する。櫓で漕ぐ舟で、葦の茂る間をゆっくりと巡っていく。葦は、本来あしであるが、悪しより善しとしたらしい。ヨシキリがしきりにぎょぎょしぎょぎょし(行行子)と鳴き、柳の白い綿がふんわりと舟を包む。水深は1mもないと言う。

  ヨシキリの 声惜しみつつ 近江去る

 近江牛を少し食べて、帰路につく。

  おろおろと 日射しの夏を 歩きけり

2015年   5月30日    崎谷英文


辺野古の海

 沖縄は、元琉球王国という独立国家であった。琉球王国は、1609年に薩摩藩に征服されたが、以前と同じように中国、当時の清とも関係を保っていた。明治政府になって、明治5年に琉球藩が設置され、廃藩置県により、明治12年に沖縄県となったものである。

 その後、周知のように、太平洋戦争末期、米軍が沖縄に上陸し、沖縄の日本兵約5万人、民間人約十万人が日本本土の盾となるべく戦い、あるいは自決して非業の死を遂げた。若者たちは、鉄血勤皇隊やひめゆり部隊として戦い死んでいった。民間人たちも、自決のための毒や手榴弾を与えられ、逃げまどいながら、多くは最後は壕の中で集団自決していったと言われる。沖縄の人の四人に一人が、この沖縄戦により亡くなったと言われる。

 日本の敗戦となった後、朝鮮戦争もあり、米軍は、いわゆる銃剣とブルドーサーによって、沖縄の人たちの土地を強制的に米軍基地としたのである。そして、サンフランシスコ条約の後も、沖縄はアメリカの占領下に置かれ、日本と切り離されていった。ようやく昭和47年、1972年に、沖縄は日本に復帰したのだが、米軍は変わらずに沖縄に駐留し、今も日本の米軍基地の74%が、沖縄に残っている。

 英太は、大学生の時、沖縄に行ったことがある。沖縄は変換されるまではパスポートが必要だったのだから、日本に復帰した後のことであろう。沖縄は、亜熱帯の気候で、約360の島からなる。当時、それほど観光は盛んではなかったが、沖縄の空は何処までも青く、沖縄の海はみどりに輝き、透き通ったその下には、色とりどりの美しい魚が泳いでいた。

 沖縄は、何度も日本の犠牲、日本本土の捨て石とされ、それが今も続いている。独立国であったのを日本に征服されて沖縄県となり、太平洋戦争においては、本土決戦のための米軍の足止めとして玉砕戦を強いられ、大戦後は、日本本土は独立復帰をしながら、沖縄だけが取り残されて、日本に復帰した後も、日本のためとして米軍基地は残ったままになっている。

 今、米軍の普天間基地の危険の除去、縮小と称して、辺野古の海に米軍基地、滑走路を建設しようとしている。辺野古反対を訴えて知事となった仲井間前知事が、前言を翻して辺野古移転を認める決定をしたのだが、その後の知事選で、再び辺野古反対の翁長氏が当選し、辺野古の海に基地を作らせないのが沖縄県民の意志である、と頑張っている。

 根本的なことを言えば、日米安保条約による米軍の日本駐留自体が問題なのではないかと思っているのだが、百歩譲って、米軍の日本あるいはその近辺での駐留が、日本の役に立つのだとしても、その負担を沖縄に負わせ続けていいのだろうか。ヤマトンチューの人たちは、余りに自分勝手ではなかろうか。沖縄開発庁を設置して、以来、札束、つまり経済援助、補助金の交付、ほのめかしで、沖縄に犠牲を強いてきているのではないか。

 辺野古の海は、サンゴ礁の海である。人魚のモデルとされるジュゴンもいる。サンゴが動物であることを知っているだろうか。サンゴはクラゲの仲間だと言われる。サンゴ礁は、その中に褐虫藻という植物性プランクトンを囲い込み、サンゴと褐虫藻とが共生している。太陽のよく当たる浅い海で、褐虫藻が光合成をして、その作り上げた物をサンゴが食べているのである。

 サンゴ礁は、二酸化炭素を吸収する能力がとても優れていて、地球の空気をきれいにする大きな役割を果たしている。多分、地球上からサンゴ礁がなくなれば、息苦しくなる。美しいばかりでなく貴重で有意義なサンゴ礁を潰して、米軍基地は作られようとしている。恐ろしい悪魔の所業か。サンゴ礁を壊して、戦争の準備をする。

 もう、沖縄が日本のために犠牲を強いられることは終わりにしなければならない。本当に米軍が必要だと思うのならば、みんなで分かち合え。本来なら、憲法上の地方特別法として住民投票が必要となる辺野古移転であろう。このまま強硬に推し進められるならば、沖縄は、もう一度独立を考えてもいいかも知れない。

  夏草や 遠くの海を 眺めつつ

2015年   5月21日    崎谷英文


歴史は繰り返す

 今また、日本は第二次世界大戦、太平洋戦争前の状況に戻っていく。安倍晋三は、どうしても日本を戦争のできる国にしたいらしい。いや、むしろ戦争をしたいのではないか。若者が様々な戦闘ゲームに熱中するように、敵を作り、味方を得て、作戦を練って、戦略を考え、戦術を実行していく、というわくわくした昂揚感を持って、戦争のできる国にして、戦争をしようとしているとしか思えない。

 今、安倍内閣がやろうとしていることは、明らかに、日本国憲法の平和主義、戦争放棄の規定を無視した、憲法違反の行ないである。

 日本国憲法、第9条、第1項、日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。第2項、前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。

 今、政府が成立させようとしている安保法制は、明らかに、この日本国憲法の規定に違反する違憲立法である。「国際平和支援法案」、10の法案を一括して改正する「平和安全法制整備法案」などと、平和という文言が取ってつけたように付け加えられているが、まさしく、戦争に関与し、戦争に参加するための「戦争法案」である。

 このまま、これらの法案が成立してしまうことにより、日本の平和主義、戦争をしないという理念は崩れ去ることになる。

 そもそも、日本国憲法は、第二次大戦、太平洋戦争の悲惨で残虐な経験を経て制定された憲法である。第9条の平和主義は、どんなことがあっても、他国と戦争をしないという誓いであり、どんなに国際紛争がもつれようと、外交的話し合いにより解決するのだ、という誓いなのである。これは、日本は何があっても戦争をしないという覚悟とも言える。

 これを理想主義として、現実の国際政治はそうはいかないのだ、というのが政府の考え方なのであろう。今の世界は、イスラム国のテロの脅威、北朝鮮による弾道ミサイルの脅威など、日本を取り巻く環境が厳しくなっていて、もはや一国のみでどの国も自国の安全を守ることはできない時代だ、切れ目のない対応を用意しておくことが、戦争の抑止力になるのだ、と安倍は言う。

 しかし、如何にもっともらしい理屈を並べようと、それは戦争参加への道なのである。敵を作ることにより戦争への脅威は大きくなり、固く結びつけられた味方を作ることにより、敵はさらに敵対心を抱く。集団的自衛権は、味方を作ることにより、敵を作ってしまう。

 日本が、軍備(本来、日本には軍隊はあってはならないのであって、幾ら世界が日本の自衛隊を軍と認めているからと言って、首相が自衛隊を軍と呼ぶことは憲法をないがしろにすることで、むしろ、自衛隊は軍隊ではありません、と世界に叫ぶことこそ大切なのだが)を拡張することにより、周辺国は対抗して、さらに軍備を拡張することになる。

 そういった悪循環が戦争を引き起こすおそれを増すのであり、だからこそ、日本は軍隊を持たない、としたのだとも言える。

 日本の存立危機事態に当たれば、集団的自衛権を行使できるとするが、存立危機事態などというものはいい加減なもので、愛国心を煽れば、国民は容易に同調するであろう。

 在外邦人の救出など、取ってつけた事例に過ぎず、石油のために戦争するなどもってのほかであろう。米国などへの後方支援や弾薬の提供は、明白な戦争参加であろう。米国の戦争に、絶対に巻き込まれない、と安倍は言うが、それこそ口から出まかせのその場しのぎのもので、戦争に参加すれば、これは日本の戦争なのだと言い張るに違いない。

 つまりは、日本国外での戦争に関与して、参加していこうとするのが、今回の法案である。

 このままいけば、どうやら日本は元来た道を歩みだすことになる。もはや、国政選挙の投票率が50%を切る中で、国民は自らの生活に浮かれ、あるいは汲汲としている間に、なし崩し的に、知らず知らずの内に、戦争をする国になってしまう。

 日本は、平和国家でなくなってしまう。将来、若者は徴兵されるかも知れない。

  枯れ草を 覆い隠して 草茂る

2015年   5月16日    崎谷英文


夏野菜

 筍の季節が終わり、夏野菜を植える。トマト、ピーマン、ナス、キュウリなどの苗を買ってきて植える。野菜作りにも上手い下手があり、英太は、もちろん下手である。草ぼうぼうのまま適当に耕して、適当に植える。苗を植えた後、雨が降ってくれないと、一応毎日のように水を遣ることにしているが、面倒で遣らないこともある。

 野菜作りの上手い人は、丁寧に作るから、先ず畑がきれいである。雑草など生えていない。英太の畑は、雑草だらけである。雑草の中に野菜がある。しかし、それでもそれなりに野菜はできるから面白い。

 とにかく土に触れ、草に触れることが面白い。こかぶの種を蒔いていたのが、今回は、何故か上手くいき、ちゃんと芽を出し葉を茂らせてくれた。こかぶと言っても、密集したままに茂らせておくと、駄目なので、間引きした方がいい。面倒で放っておくと、本当にちいさなかぶしかできない。間引きしたかぶの葉も食べられ、結構おいしい。

 人が生きていくということは、自然の恵みを享受するということなのは、幾ら科学が進歩し、文明が発達しても変わりはしない。

 米をまるっきり化学的製法で栽培することなどはできない。工場のような所での野菜の水耕栽培をしても、稲の交配により新種を作っていったとしても、遺伝子操作によって害虫に強い大豆を作ったとしても、それらの植物、穀物、野菜の生きて生長していくメカニズムを人間が新たに科学的に作り出すことはできない。あくまで自然の能力を利用することしかできないのである。

 しかし、現代人は、科学万能主義に陥っている。石炭石油を利用した電気エネルギーの普及は、人々の生活を一変させた。電気機械、電気器具は、人々の生活を便利にし、豊かにし、自動車は、必需品となる。半導体、電子工学の発展は、コンピューター、スマートフォンを普及させ、指一本で情報を得て、指一本で会ったこともない相手と交流する。

 航空機は世界中を飛び交い、高速鉄道が張り巡らされ、高速道路が縦横に走り、人々は何処に居るか分からなくなる。

 人々の欲望は留まることを知らず、便利さを求め、贅沢を求め、快楽を追求し続ける。

 しかし、人々は、そんな文明社会に心からの安らぎを持って生きているのだろうか。生きていくということは、特にこの地球で生きていくということは、幾ら、文明、科学が発達しても、大海原と大地と大空の中で生きていくということであって、その大自然と融け合うことによってこそ、生きていることの実感を得ることができるのではなかろうか。

 何処かで、人々は間違ってきたように思えてならない。贅沢を知らなかった純朴な田舎者たちが、都会の華やかさを知らされ、欲望の虜にされていったのが、近代であったのではないか。それが、現代に繋がっている。

 豊かさがすべてを解決してくれると思い込んでいるような世の中になっていないか。豊かになろうとして戦争をし、豊かさを守ろうとして戦争をしてきたのではなかったか。

 この時期は、また、米作りにとっても忙しい。6月初めの田植えを控えて、みんな田んぼを耕す。夏草の茂り始めた田んぼにトラクターを入れて、ゆっくりと土をかき混ぜる。青かった田んぼが、ゆっくりと白くなっていく。英太も二面の田んぼを鋤いた。太市にも不耕作地の田んぼが増えているのだが、その田んぼも周囲に迷惑が掛からないように草刈りをしておかなければならない。英太も五面の草刈りをした。

 田んぼの景色も、時季により様々なのだが、それぞれに面白い。この田植え前の白い田んぼが並ぶ景色も捨てたものではなく、英太は好きである。この後、6月になって、この田んぼに水が入り、シラサギが餌を漁って歩き回り、水面は太陽に輝き、山の緑が映し出される。

 今年度の太市小学校の新一年生は8人だと言う。さて、これから太市の里はどうなることやら。

  田植え待つ 白き田並ぶ 空青し

2015年   5月9日    崎谷英文


一物全体

 モツ焼きとかモツ煮込みとかモツ鍋などというモツ料理がある。モツというのは、動物の臓物、つまり内臓のことで、モツ料理と言うときには、普通、牛や豚の内臓が使われる。内臓と言っても、心臓、肺、肝臓、膵臓、腎臓、胃、小腸、大腸など、様々な部位があり、それぞれ色々な形をして、色々な味をして、色々な食感である。モツ料理の専門店などもあり、好きな人は多い。

 通常、人々は、動物の筋肉を食する。ロース、ヒレ、カルビなど、脂の適当に入った食べやすくておいしい所を食べている。内臓は、ホルモン(放るもの)として、一段低級な食べ物とされていたのかも知れない。しかし、人が動物を食べるということは、動物のエネルギーを貰っていくということであり、動物全体として食べた方が栄養的にいいと思われる。

 一物全体、あるいは一物全体主義という言葉がある。料理の素材は、そのすべてを利用することによって、栄養的に良いのであり、料理の素材はなるべく捨てるところはなくして全体を利用し食べるのがいいのだ、という考え方である。食材を丸ごと食べることが推奨される。これは、動物の食材だけではなく、植物、野菜や穀物についても言える。

 森鴎外が軍医だったころ、軍艦に乗り組んでいた兵士たちに脚気の病に罹るものが多くいた。何らかの菌による感染症だという説と何らかの栄養分の欠如であるという説とが対立した。結果は、もちろんビタミンB1不足である。長期の軍艦での食事は、白米中心で野菜は不足し、その結果、ビタミンB1不足になって脚気患者が増えたのである。鴎外は。感染症説だった。

 白米を玄米、麦飯などに変えたり、野菜不足を補うことによって、ビタミンB1不足は解消する。米は、白米が美味しいが、精米した時に削り落とされた糠の中に栄養は満ち溢れている。野菜、穀物においても、その捨てられそうな皮や根っこに貴重な栄養分が蓄えられている。

 生きているということ、いのちがあるということは、そこに一つの調和したエネルギーが満ちているということではないだろうか。地球上に住む生き物たちは、そのエネルギーをやり取りしながら生きている。人もまた、植物、動物の生きているいのちのエネルギーを頂きながら自らのいのちを養っているのではないだろうか。

 だとすれば、人の食する食材というものも、その物全体が、一つの調和したエネルギーであり、すべてがそろってこそ、そのエネルギーを貰えるということである。あらゆるいのち、植物も動物も、その全体においてバランスが取れているのであって、無駄はない。

 料理しやすく、食べやすく、見かけがよく、美味しいものばかりを食べようとしない方がいい。科学は進み、人の身体の栄養についても分析が進み、分解された成分の効用などが言われそのためのサプリメントが数多く売られている。しかし、サプリメントのような分解された栄養素を取るよりは、食材を丸ごと食べるようにした方がいい。

 本来、人は、自分の生きるその土地で産出され、手に入るものを食べて生きてきた。身土不二という言葉がある。人の身体とその生まれ育った環境とは切り離せないというような意味も持つ。美味しいものを求めて地球の裏側からも手に入れようとするのは、人が生きていくのに相応しいものなのか。地産地消で生きていくのが、身体的にも、社会的にも健康なのではないだろうか。

 人の身体もまた一物全体と言っていい。様々な要素が絡み合いながら、全体として個人を形作っている。精神もまた様々な様相を見せるが、そのすべてをひっくるめてその人なのではないか。一部だけを取り上げて強調して見ても、その人全体ではなかろう。良い所だけを見ても、悪い所だけを見てもその人は分からない。

 ライオンやトラは、獲物を捕らえると、真っ先にその内臓から食べるという。大事なものをよく知っているのだろう。英太は、今日も、大根の皮の漬物とイワシを丸ごと食べている。

  雲流れ 草木深し 春行かん

2015年   5月3日    崎谷英文


原発訴訟

 「被告は本件原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人々の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。

 このコストの問題に関連して、国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土と、そこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。」

 この文を読んだことはあるだろうか。これは、2014年5月21日の福井裁判所の大飯原発運転差し止め請求事件判決の一部である。極めて妥当な考え方であろう。

 東日本大震災による福島原子力発電所の破壊、メルトダウンの事故は、周辺に放射能汚染をもたらし、人々は故郷を離れざるを得なくなり、今もって帰ることはできず、何時帰れるかも、全く分からない。大地は汚染され、海も汚された。

 こういうことが起っても、誰も責任を取らなかった。誰ひとり、私が悪かったと手を挙げる者はいなかった。

 責任のある者を探せば、いくらでもいる。この原子力発電を推進してきた電力会社の会長、社長、取締役たち、国策として原子力発電開発計画を推し進めてきた政治家、閣僚、官僚たちなど、探せば、責任を取らせることのできる者はたくさんいるのではないか。

 原発事故による被害は、天災ではない。人災である。原子力発電所というものがなければ、事故は起きなかった。単なる建物の破壊による被害ではない。原子力、核による目に見えない放射能拡散の事故なのである。人災ならば、誰かの責任になる。しかし、誰も責任を取らない。

 今、政府と電力会社は、原子力発電を再稼働しようとしている。これはきっと、もし再び事故が起きようが、自分たちには責任など掛かってこない、ということを見越しているからではないか。先の福島の原発事故では、誰も責任を問われなかったのだから、たとえ、今後事故が起きようが、自分たちの責任は問われないのだ、と思っている。無責任体制である。

 太平洋戦争の責任に似ていないか。極東軍事裁判で裁かれた者もいるが、責任を取るべき者は、他にもたくさんいよう。彼らは、責任を免れ、今、その子供や孫たちが、父や祖父の名誉を取り戻せとばかり、先の戦争で日本は悪くなかったのだと言って再び戦争のできる国にしようとしている。将来、日本が戦争に巻き込まれようが、自分たちの責任は問われないと思っている。

 4月14日に、高浜原発の再稼働差し止めの仮処分請求において、福井裁判所は、地震の想定基準が低すぎるなど、原子力規制委員会の新規制基準自体が、緩やかに過ぎ、合理性を欠くとして、新基準を満たしたとしても安全性は確保されないとして、再稼働差し止めの仮処分を決定した。原子力規制委員会の田中委員長自体、新基準をクリアーしたということで、安全を保証するものではないと言っていたのだから、当然の決定であろう。

 この決定に対し、万が一の事故を防ごうとするもので厳しすぎるという輩がいる。しかし、原発事故、戦争は、万が一にも起こってはならないのである。多数の人命が奪われる危険があり、住処を追われ、大地は荒れすさび、人々は恐怖に震えるのである。こんなことは、万が一にも起こってはならないのである。

 自動車事故には保険が利くが、原発事故、戦争には保険が利かないのである。

 もう、生きていく姿勢が違う、と言ってもいいかもしれない。姑息な、一時しのぎの、今が良ければそれでいいのだというような、ただ傲慢で貪欲な生き方に人々は馴らされてしまっているのではないか。

 川内原発の仮処分決定は、新基準について、最新科学に照らし合理性があるとしたが、福島の事故は、科学の信頼性の限界を示したのではなかったか。

  まぼろしを 見つつ浮き世の 春眠る

2015年   4月25日    崎谷英文


年を取っての物忘れ

 年を取るにつれ物忘れが多くなる。いろいろなものがなくなる。実際になくなってしまうのではない。目当てのものが何処にあるか、分からなくなってしまう。捨てたはずはないのだから、何処かにあるはずなのだが、見つからない。こんなことは、整理整頓の下手な英太には、昔からよくあることなのだが、年を取って来て、余計にものが見つからなくなった気がする。

 人は忘れる。何でもかんでも覚えていては、ややこしくてたまらない。賢い人は、何でもよく覚えている、と言うのは嘘である。ろくでもない知識、人や物の名前、年代など、覚えているからと言って賢くはない。むしろ、上手にろくでもないことを忘れていく人こそ賢いのだと思う。忘れてはならないことを忘れずに覚えていて、忘れてもいいことはさっさと忘れるのがいい。

 忘れようと思っても忘れられないことが、大切なことであり、いつの間にか忘れてしまうようなことは、大切なことではない。いろいろなものを忘れ、いろいろなことを忘れるが、実は、それらが大したものやことではないからとも言える。英太にとって、今、周辺にあることなど、大したことではないからに違いない。

 人は、生まれてその時から、意識せずとも、記憶が始まる。そして、その経験してきたことすべてを抱え込んで、今の自分がある。過去の誇らしい出来事も、過去の忌まわしい出来事も、すべてひっくるめて、現在の自分がある。

 トラウマとかPTSDとか、心的外傷として残るというのは、忘れようとしても忘れられないということであろう。嫌なことは忘れましょうね、と言ってトラウマやPTSDの問題が片付くはずがない。その忌まわしい経験を秘めたまま、乗り越えていくしかない。どんな人も、多かれ少なかれ、心の傷を抱えたまま生きているのではなかろうか。過去をなかったことにすることはできない。

 今生きているのだが、今生きていることよりも大事なことを、過去からずっと曳き摺りながら生きているのかも知れず、今のこと、今のものなどそれほど大事なことではないのかも知れない。だとすれば、今物忘れが多いということも、余り気に病むことではない。忘れてしまうようなことは、大したことではない、と言うことである。

 年を取って、物覚えが悪くなり、物をよくなくす、などと言うことは、つまらないことを自然に忘れるようになる、と言うことに違いない。今や、現実世界は、その人にとって人生の中の些末な出来事なのである。その人の人生は、過去を曳き摺ってきた現在完了の中にこそあり、年を取れば取るほど、未来が無くなるように今も色褪せるのである。

 などと言って、物忘れをし、人の名前を思い出せなかったり、隣の部屋に入って何をしに来たか忘れたりすることも、成熟した人間の道理なのだ、と言い訳をしてみた。

 しかし、言い訳をせずとも、この現代社会の中で、このろくでもないことを何もかも忘れて生きねば、と思うことがしばしばである。

 しかし、この世のしがらみはまとわりつく。今、統一地方選挙の最中であるが、この何の力にもならない英太に、候補者の後援会の葉書に名前を書いてくれ、と何人の人が言ってきたであろう。英太は断りもせず、名前を全部書いたのだが、名を書くことにどれほどの効果があると言うのだろう。くだらない。12日の前半戦の投票率は、40%にしかならなかったと言う。

 後半戦の姫路市議選では、太市という村で、自治会がH氏を推薦するとして、その壮行会、応援演説会などをやると言う。英太は、四班の班長で、知らない間に、その会の受け付けとかの役にならされていたのだが、ちょうどその日は、英太は太市にいないので断った。馬鹿馬鹿しい。まだ、こんなことをやっているのかと言おうとしたが、妻に止められた。

 まあ、この世はおかしいのだ。今度、何かおかしなことがあって巻き込まれそうになったら、忘れたふりでもしよう。

  大海に 向かう試練や 花筏

2015年   4月17日    崎谷英文


パンとサーカス

 四月に入って雨の日が続く。この時季のこういう天気を、菜種梅雨と言うのだろう。一時、初夏のように暖かな日が続いていたのだが、冷たい雨と寒気に変わってきている。ソメイヨシノの桜の花も、短いいのちを終えて花畳となり、遅咲きの八重桜が咲き始めている。

 蓮根畑に、一羽の白鷺がいる。目の前、10メートルも離れていない。白鷺は、頭を前後に揺らしながら、忍び足のようにゆっくり歩いている。蓮根畑は沼地であり、春になると、人には見えない様々な生き物たちがいるのであろう、白鷺は、時折首を折り、何かをついばんでいる。

 この雨続きの合間に筍掘りをする。我が家の墓の並ぶ山の斜面の下の竹林に足を踏み入れる。数本の枯れ朽ちた竹が墓に倒れ掛かり、日頃、墓守をきちんとしていない英太を叱りつけるかのようである。鹿除けの柵の外側の竹林には、所々に鹿の糞があり、幾つかの筍の先の青い所が、鹿に齧られている。この時期の筍は、上に障害物が少なく素直に伸びているのが多く、掘り易い。

 筍を二十本ほど掘って持ち帰り、薪と釜で炊く。コの字型にブロックを積み、火を起こして釜を載せ、二時間ほどゆでる。湯を吹きこぼして、差し水をし、またゆでる。後は、そのまま自然に冷めるのを待つ。

 筍の刺身を食べながら、テレビを見ていると、茨城で150頭以上のイルカが浜に打ち上げられたと言う。原因を専門家がいろいろ言っているが、本当のことは分からない。原因が確定されることもないだろう。自然は、人の理解を超える。

 民法の番組を見ていると、コマーシャルだらけである。あれを買え、これを買えと、買うことばかりを誘いかける。たまには、この商品は買わなくていいですよ、と言うコマーシャルはないのかと思う。

 今の世の中、必要のないものを買わせ、贅沢なものを買わせないと動かなくなっている。みんなが持っているからと言って買わせようとし、あなただけにと言って買わせようとする。清貧の心地よさなど誰も言わない。中国人の爆買いを喜んでいることはおかしくないか。

 パンとサーカス、と言う言葉がある。古代ローマの詩人、ユウェリナスの、当時の堕落していくローマの社会を風刺したものだと言う。

 パンとサーカスを与えられて人は満足する。大衆に、食べる物と娯楽を与えておけば、大衆は、文句を言わずに、国家に従うと言うことだろう。子供に、アメとオモチャを与えておくようなもので、権力者たちは、大衆を飢えさせることなく楽しみに耽らせておくことで、自分たちの地位を守ることができる。金で買収されない者には、ムチをちらつかせる。

 愚かなる大衆は、享楽主義になり下がり、もっと呉れ、もっと寄こせと言い募るばかりで、いざとなれば、真っ先に切り捨てられる身であることも知らず、権力者たちに付き従う。

 そうやって、世の中は堕落し腐敗していく。ローマの時代より現代の方が腐っているかも知れない。今、国家による圧力と懐柔は、じわりじわりと気が付かないうちに、国民を無抵抗に仕立て上げようとしている。

 NHKのとんでもない会長を見ていると、NHKは信じられなくなり、新聞の報道も二極化している。メディアリテラシーと言う言葉があるが、人々は、報道されていることの裏の真実を読み取らなければならないのだが、愚かなる大衆は、ただ雰囲気に流されて、自ら考えることはない。

 報道関係者、評論家、学者たちも、エリートで金持ちであり、意識せずとも自己防衛の心理は働く。彼らが、身を捨てて覚悟して、報道し論じることができるのか、疑わしい。いつの間にか、大本営発表ばかりになるかも知れない。もう、なっているか。

 狂った先頭のイルカに付き従って、イルカたちは浜に乗り上げたのではないかと思っている。

  三日月の 傾き落ちたる 筍

2015年   4月12日    崎谷英文


恨みという感情

 川端の土手の桜並木は、今、満開の花の雲となって艶やかに輝いている。その河原には、菜の花が絨毯のように花開き、春の水は穏やかにその間を流れる。山にも、山桜がぽつりぽつりと頬を染めるように花咲き、竹林の青々としたその下では、うずうずするように筍が、土を押し上げている。

 春は、今、盛りである。しかし、世間では、余りに桜ばかりが持て囃されていないだろうか。最近は、ニュースの話題も桜一色で、実際、日本の至る所で桜が植えられて、至る所が、桜の名所となってしまっている。春は桜ばかりではないのであって、数は少ないかも知れないが、多くの種類の春の木々の花々が色とりどりに咲いているのを忘れてしまいそうだ。ただ、桜の花が散るのは、早い。

 ポトラの兄のウトラが、このひと月、顔を見せない。家族三人が東京に行って、2日程留守にしていたのだが、帰ってきた後、ポトラとダラは、元気に姿を見せたのだが、ウトラが見えない。半野良の猫であり、これまでも、数日顔を見せなかったこともあるので、また、現われるだろうとその日は、余り気にしなかった。

 しかし、その姿を見せないのが、1週間、2週間となって、不安になってくる。もう現れるだろう、と期待して待っていたのだが、いっこうに姿を見せない。僅か2日ばかりの留守だったのだから、その間に飢えて弱ってしまったわけではあるまいと思う。本来、野生の猫であり、自分なりに獲物を見つけて生きているのだろうと思いたいのだが、不安になる。

 これまで縁側の主のように寝そべって、腹が減ればニャーニャー鳴いて食べ物を催促して、図々しくも感じたが、いなくなると困る。毎日、毎日、今日こそ食べ物をねだりに来るだろうと期待しているのだが、ひと月近くなっても姿を見せないので、心配でたまらない。野生だから、敵もいるだろう。大怪我をしているのではないか、コトラのように車に轢かれているのではないか、心が騒ぐ。

 もしかすると、優しい人に育てられているのかも知れないという希望もある。英太は、毎朝、毎昼、毎晩、ウトラがいないかときょろきょろしている。

 動物は、恨みというものを持っているのであろうか。人間と同じように、過去のことを根に持って、恨みを持つというようなことがあるのだろうか。彼らには、いじめられたり、虐げられたりしても、そのことを根に持って、いつか恨みを晴らしてやろうなどと言うことはなさそうだ。ただ、安心できる相手には近づくが、危険な相手には近づかないということではないだろうか。

 もちろん、生きていくためには闘わなければならないこともあり、それが野生の生き物の自然の姿であり、弱肉強食の世界では、その苛酷な闘いに勝った者たちが生き延びていく。しかし、それが摂理だとしても、彼らは、恨みを持って報復しようなどとは思わないのではないか。

 人間だけが、恨みを持つような気がする。人間だけが、過去の仕打ちに恨みを持つのではないか。恨みを持つなというのが、ほとんどの宗教の教えであろう。

 しかし、その恨みにも、意味はありそうだ。人が、助け合って生きるしかない社会的動物だとすれば、人間は、その共同社会の中で、みんなが平等に働き、平等に食料を得て、仲良く生きていくように進化してきたのではなかろうか。だとすれば、ずるい奴ら、乱暴に横取りしようとする輩は、排除されねばならない。それを許さないために、恨みという感情も生まれたのではないか。恨まねばならないこともありそうだ。

 だとすれば、恨みを持たれた者たちこそ、何故恨まれるのかを考える必要があるのではないか。イスラム国の乱暴者たちの恨みは何処から来ているのか、それを考えなければ、多分、恨みの連鎖は止まらない。

 ウトラに悪いことをしたという思いが止まらない。未だ行方が知れず、元気でいると思いたいが、さみしく、不安だ。ウトラは、恨んでいないだろうか。

  息切らし 空翔け行かん 花の雲

2015年   4月4日    崎谷英文


山川草木悉皆成仏

 昨日まで少し寒かったのが、今日はすっかり春らしくぽかぽかした陽気で、家の前のソメイヨシノの桜がようやく一輪二輪と咲き始めている。気候というものは不思議なもので、北半球だからと言って、南から暖まるとは限らない。東京では上野の桜が三分咲きになった頃に、やっと太市では開花したのである。

 春はこれから忙しくなる。今日は、小かぶと小松菜の種を蒔き、まだ間に合うか分からないが、期限切れの絹さやえんどう豆の種も蒔いた。昨日は、人参を二種類、適当に蒔いた。種を蒔いたからと言っても、ちゃんとできるかどうかは分からない。根がちゃらんぽらんにできている英太は、とにかく、適当に畑をもてあそんでいる。

 きちんと耕して、きちんと畝を作り、肥料をやってまた耕して、丁寧に筋を作って種を置いて行けばいいのだが、適当にやる。

 冬を越した畑には、様々な野の花が咲き乱れる。レンゲ、ナズナ、オオイヌノフグリ、タンポポなど、赤、白、青、黄の花が、待ってましたとばかり、競い合うように咲く。ある所では、ナズナは高く、その下にレンゲが咲き、その横にオオイヌノフグリが咲く。

 ホウレン草を植えていた所は、栄養もあり、特に花が咲き乱れるのだが、これを刈り取ってしまうことに躊躇う。野の花を刈り取ることを躊躇うようでは、百姓は務まらない。しかし、野の花と言えど、英太は、刈りたくない。

 タマネギを植えた所では、余りに春の草が生い茂っていたので、さすがにこのままではタマネギの生育に良くないので、仕方なく、タマネギの周囲だけは草取りをしたのだが、畝の間は、春の野花が咲き乱れ、まるで、野原にタマネギが生えているという風情である。

 草木にも仏性があるのか、草木も成仏するのか、と言う問いがある。山川草木悉皆成仏と言う言葉はあるが、この感覚は、余り外国人にはなじまないようである。西洋のキリスト教的感覚からすれば、植物にも、山にも、魂はないと考えるであろう。しかし、仏教世界において、特に日本人においては、草木も、山も川も、生きているという感覚は、それほど奇異なものではないであろう。

 自然を守れとか、自然を大切にしようとか、自然を壊すなとか、よく言われるが、それは、多分に、人と対峙する、人と区別された自然というものに対しての提唱であるのではないか。

 しかし、そうであるならば、人のために、人類のためになることであれば、もちろん自然は利用しても構わないし、自然を変形させても構わないし、時には自然を壊さなければならないこともあり、それも仕方がないと言うことになろう。近代においては、人の欲望は凄まじく、自然というものは、人のために、破壊され尽くしているのではないか。

 だとすれば、やはり、自然には仏性はなく、成仏するものではなく、自然には魂などないということになろう。しかし、そうであろうか。自然と人間とは、別のものなのだろうか。そうではなかろう。自然の中に人間は含まれるのであり、自然は、人間を包み込んでいるのであって、自然は、人間より大きい。如何に科学が発達し、文明が進歩したとしても、自然の中で、自然と共に生きているという姿は、変わらない。

 自然と共に生きる。人も自然として、自然の一部として生きる。実は、そこにこそ、人の充実したいのちというものがあるのではないか。文明化、都市化、科学技術の進展、人口の大都市への集中、情報化社会、管理社会、監視社会、これらのことが、近代化された頃からずっと言われ続けている、生きづらさ、閉塞感、窮屈さ、やるせなさ、もやもやしたものを生み出しているのではなかろうか。

 自然に触れてこころを癒されるということは、如何に常日頃、人々が自然と接していないか、ということの証であろう。

 草木にも魂があり、山や川にもこころがある。草や木にこころを奪われ、山や川に頭を垂れる。

 今日、初めて筍を掘ってきた。初物は、美味しくないというのが定評だが、今日の筍は、すこぶる美味かった。

  動かずと 見えども深し 春の河

2015年   3月28日    崎谷英文


班長

 人は、自分一人だけで生きているのではない。他の人と繋がり合って生きている。しかし、まるっきりの自給自足の生活をして、ひっそりと生きていくこともできないこともないであろうと、秘かに思っていた。

 その昔、人の生きていく世界というものは、狭いものであった。川を渡り、山を越えたところは、自分たちの住む世界とは別世界であったろう。人々は、自分の生まれ育った集落で、親子、家族、村人たちという狭い世間を、この世の全てと思って生きてきた。生まれ育った土地と自分自身とは、切り離せるものではなく、自由という観念もなく、束縛されているという意識もなかった。

 時代が移り、人々の交流が盛んになり、地理的拡がりが増すに連れて、人々の行動範囲も広がり、小さな村が大きな村になり、さらに大きな自治体になり、さらに大きな国になってゆく。今や、その大きくて小さな国が、さらに大きな地域になって繋がっていき、さらにグローバルに地球的な繋がりとなっていく。

 梅の花は、もうすでに散ってしまったが、サクランボの花が満開になっている。タマネギを植えているのだが、春の草が生い茂って仕方がないので、英太は、せっせと草取りをする。草取りと言っても、手で穿り返し、草をその場に置いておくだけである。植えていた白菜は、見事にヒヨドリによって齧り取られ、細長い搭となって花が咲いている。その花は、菜の花のようにして食べると美味しい。

 隣では、岡田さんが、レンコンを掘り取っている。放水機を使って、勢いよく泥の下を抉り取って、冷たい水の中、手でレンコンを探り当て掘り出す。そのレンコンが、美味しい。去年、サクランボを鳥に、たくさん食べられてしまったのだが、岡田さんが、何とか網をかけて防ごうかと言ってくれる。

 文明は人々の生活を豊かにし、グローバル化は世界の分業を促す。しかし、人々のその土地に生まれ、その土地に育ち、その土地で生きていくということの感覚を失わせている。強欲な文明は、人々を生まれた土地から引き離し、人々の精神を汚染する。豊かさと自由という聞こえのいい言葉に、人々は惑わされ、実は、巨大な仕組みの中にがんじがらめに束縛され、拘束されていく。

 田舎に住み、世間からなるべく遠ざかって生きて行こうとしているのだが、田舎は田舎で、いろいろなしがらみがあり、やはり、唯一人で生きていくことは難しい。

 英太は、なるべく地域との繋がりも少なくしたいのだが、年を取ってくると、様々な任務をやらされる。もうすでに、太市の防犯委員というものを、10年以上もやっているのだが、今度、英太の住む太市の相野村の四班の班長もやらざるを得なくなった。

 僅か十二軒程の小さな四班だが、御多分に漏れず、高齢化が進み、未成年は高校生が一人だけになり、多くが、後期高齢者になっている。以前の班長だった岡田さんも、8年程班長をしていて、70才を越えて、英太にお鉢が回ってきたのである。ここに生きている限り、そうそう我が儘も言っておれず、引き受けざるを得なかった。班長の仕事は、回覧板、村人総出の草刈り、溝掘りの管理などで、大したことはないのだが、それでも面倒だ。

 去年から、寺の下っ端の役員にもならされてしまっていた。役員などしませんよ、と断っていたのだが、いつの間にか役員になってしまっていた、というようなことで、世間を離れるのは難しい。不信心で罰当たり者の英太なのだが、仏と喧嘩する訳にもいかず、困ったものだ。今日も、寺の年会費だということで、村の何軒かに貰いに行った。

 智に働けば角が立ち、情に掉させば流されて、意地を張ったら窮屈で、兎角にこの世は住み難いのだが、世捨て人となって放浪の旅に出るのも難しく、見ざる、言わざる、聞かざる、を押し通すこともできず、この世に生きていくということは、面倒臭いものだと実感する。

  雲間より 光の刺さる 春の海

2015年   3月22日    崎谷英文


日比谷

 朝の六時半過ぎ、ホテルから外に出ると、そこはビルの林である。日曜日の朝早く、さすがに東京の街も閑散とし、通る車は少ない。どのビルも眠りから覚めることなく、ただ、冷たいコンクリートの壁とアスファルトとタイルの並ぶ街である。所々にビルの名前や会社の名前の書かれた看板が見えるが、前を真っ直ぐに見る限り、空はない。

 東京に空はない、と言ったのは、高村光太郎の智恵子だっただろうか。そこでは、智恵子は、東京には本当の空がない、と言ったのだが、今のここ東京には、空自体が無くなっているかのようである。真上を仰ぎ見ない限り、空は見えない。太市にいれば、目覚めている限りは、空は目の前にある。東京に来るたびに、別世界に来たように感じていたのは、このことだったのかも知れない。

 東京には土がない。木もない。水もない。もちろん、山もない。東京の街を歩いてみれば、結構、坂道がある。古くは、その場所は少なくとも小高い山だったのだろう。それが、削り取られて、今は、建物と道路に敷き詰められ、面影はない。削り取られた土は、東京湾の埋め立てに使われたのだと言う。

 文明の造り上げた物は、一つの創造であろう。しかし、そこには常に破壊が伴う。何かを破壊しなければ、新しい創造は生まれないのかも知れない。山を削り、土を掘り返し、コンクリートを敷き詰め、道を造り、その下に水の流れる穴を貫通させ、電気を通し、ビルを建てて街を作る。自然というものが破壊されて、人工造物で埋め尽くされる。それが都会というものなのだろう。

 前日、湯島聖堂の大成殿と言う所で、筑波大学の芸術専門学群の研究生、大学院生たちの彫刻を見ていた。芸術というものも、また、何かを破壊して新しいものを創り出すものだろう。今流行のありのままでは、芸術にならない。

 二十体ほどの様々な彫刻が回廊の下に、あるいは雨に濡れてもいいものは中庭に置かれている。女性の裸体像、ポーズをとる人物、猿、ヒグマ、シマウマと人、二つの大きな石、所々に穴の開いた二m程の搭、得体の知れないものを纏った人、様々な具象、抽象の作品が並ぶ。それぞれに、何らかのメッセージがあるはずである。

 芸術というものは、現実の単なる写実ではない。絵画や彫刻などのアート芸術においては、現実の姿、自然のそのままの佇まいを再現するのではないであろう。具象といえども、見えた姿をそのまま表現しない。見えたもののエッセンス、見たものから作者が感じ取った対象の本質的なものを、あるいは誇張し、あるいはわざと控えめに表現するものであろう。

 その見えたものの対象をデフォルメ(変形)して作品を作る時、それが元の現実の具体的姿から遠ざかる時、そのアートは、抽象画になり、抽象彫刻になる。芸術というものは、人を、自然を、人のいのちを表現するものだろうが、元型を留めずにデフォルメされていく先は、直線になり、円になり、四角にもなり、元々の有機的曲線は、幾何学的線分になっていく。

 都会というものも、人間本来の生きる姿を留めることなく、幾何学的模様になってしまったものかも知れない。空を仰ぎ、地を耕し、水を求めて、自らの肉体を使って汗水垂らして働き、自然の恵みをいただこう、とする姿は、都会にはない。都会的生活というものは、人の有機的具体性を剥ぎ取っていくものかも知れない。

 自然から切り離されて、文明の中に浸りきった人々は、人間の元型を留めないかのように抽象化されていく。生きているという有機的なものが、どんどん剥ぎ取られていって、無機的なものに分解されていく。それも、人のエッセンス、本質的なものの抽出なのかも知れないが、その陰で、もっと本質的なものを破壊しているのではないか。

 いくつか角を曲がると、やっと緑が見えてきた。皇居の林である。お堀の水は、閉じ込められて動かない。

  春をのみ 見ていきはてな 厭離穢土

2015年   3月15日    崎谷英文


過程

 還暦を過ぎると、自分では若いつもりでいても、余り無理なことをすると身体を傷める。久しぶりに、畑を鍬を持って耕してみたのだが、30分もしないうちに疲れてしまい、今日はこれぐらいにしておいてやる、などと負け惜しみを言って終わったのだが、翌日になって、腕と腰が痛くなる。冬の間、余り力仕事をしていなかったせいで、筋力が衰えていたのだろう。

 小さな耕運機があり、それで耕すとぐっと楽になるのだが、時々、英太は自分の手で耕してみたくなる。備中鍬や普通の鍬や三角の尖った鍬などを使って、自分の力で畑を掘り返す。自分の手で掘っていると、いろいろなことが解る。掘り残していた去年のジャガイモが出てきたり、ミミズがくねくねと起き出してきたり、モグラの穴が出てきたり、いろいろなことが見えてくる。

 しかし、耕運機で耕していると、そういうことに気付かないことが多い。ただ耕運機を押していくだけで、その掘り返された土をよく見ることもない。多分、結果としての耕された土の状態としては、耕運機で耕した方が、手で耕すより、細かくきれいに鋤かれているのであろう。

 しかし、物事というものは、結果だけではないのではないか。英太は、自分の手で、自分の身体を使って畑を耕すのが好きなのだ。

 機械を使えば、仕事の結果は早い。汗水垂らして筋肉を酷使して、時間をかけて手で耕すことと比べれば、耕運機を使うことは、とても便利で、人を楽にさせる。文明というものは、こうして人々の仕事、生活を楽にし、便利にし、た易くさせることに、大いに貢献してきたと言えよう。

 昔の人が、一週間もかかった道のりを、今は、新幹線を使えば三時間で行く。飛行機ならば、一時間もかかるまい。まるで、ドラえもんではないが、どこでもドアー、を使って移動しているような気分にもなる。

 確か、昔の漱石の「草枕」の中に、こんな文があった。「人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車程個性を軽蔑したものはない。文明は、あらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によって、この個性を踏みつけようとする。」(夏目漱石 草枕 新潮文庫)

 鉄道というものができてから、まだ日の浅い時代のことであるが、漱石は、文明というものが、便利ではあるが、何処か非人間的であるかも知れず、人の主体性というものを損なっている、と感じていたのではなかろうか。

 今の時代は、漱石の頃より、はるかに文明は進んでいて、機械というものに頼り切って人々は生活している。旅をしても、道中をゆっくり楽しむようなことは二の次で、如何に早く目的地に着くかということが大切になっている。

 高校生に数学を教えているのだが、解からない時、解答を見れば直ぐ答えは出るのだが、実は、どう解けばいいのかと考えている時こそ、おもしろい。解からなければ、直ぐ回答を見て答えを出しては、せっかくの考える時を逃してしまう。

 現代は、コンピューターとか、インターネットとか、スマートフォンとかを使って、指一本で答えの解かる時代なのであろうが、ただ答えが解かることが、そんなに素晴らしいことなのか。実は、人は、仕事にしろ、普段の生活にしろ、自分の脳と身体を集中させ、没頭させ、働かせてこそ、生きる充実感を得ているのではなかろうか。

 機械化、分業化、コンピューター化、オートメーション化の時代、人々は、結果を求めて、文明というものに頼り過ぎている。脳と身体を使って、人間の能力、技術を培っていかないと、人は馬鹿になる。きっと今の時代、文明に頼り過ぎ、人々は人として物足りなく、人として生きている実感を持てなくなっているのではなかろうか。

 畑がきれいに耕されればいい、目的地に早く着ければいい、製品が簡単に作れればいい、数学の答えが解かればいい、のではない。そこに辿り着くための過程を楽しみたい。

  柔らかき 肌潤いて 春の木々

2015年   3月5日    崎谷英文


老いと病

 まだまだ寒い日が続いているような気がするのだが、それも年を取って、身体に元気がなくなってきたからなのかと思ったりして、つくづく年は取りたくないものだと感じながら、日々過ごしている。

 今年も、そろそろジャガイモを植える時節になり、メークイーンと今年初めて試してみる北あかりという品種の種芋を買ってきて、半分ほど植えた。ジャガイモは、二つ三つの芽が残るように、二つ三つに切り、切り口を乾燥させるために木の灰をまぶすのだが、英太は、その灰として、いつも線香の灰を使っている。一年間に溜まった線香の灰が、ジャガイモの育ちを助けてくれる、と信じている訳ではない。

 今朝、英太の家の菩提寺の掃除当番に当たっていて、八人程で、寺の草取りなどの掃除をした。英太以外は、おばさんというかおばあさんばかりで、しかし、彼女たちは頗る元気で、英太の方がうろうろするばかりだった。

 その寺には、若い住職と彼の祖母が住んでいるのだが、そのお祖母ちゃんは、85才ほどにもなり、去年の暮の門徒の集まりにも元気に参加し、発言もされていたのだが、今、病院機能のある老人施設に入っているという。以前から、少し痴呆気味のようなことは聞いていたが、それほどでもなさそうだったのだが、その痴呆症のようなものが、やはり大変になって、施設に入ったらしい。

 聞けば、認知症の一種の病であるピック病の疑いがあるらしい。アルツハイマー病と似てはいるが、アルツハイマー病が、脳の後頭葉が侵されるのとは異なり、脳の前頭葉、側頭葉が委縮することにより発症するらしい。

 ピック病は、聞けば、人格障害、性格変化、行動異常をもたらす症状らしく、同じことを繰り返したり、急に怒ったり、頑迷になったり、常識が通用しなくなったりするらしい。老人の万引き常習者になったりもするらしい。

 人は、年を取れば衰える。身体も脳も、共に衰えていくのだろうが、きっとどちらか一方から衰えていくのだろう。身体が衰えていくと、足腰が弱り、よたよた、よぼよぼし、遂には寝たきりになったりするのだが、脳はしっかりしている、という場合もあれば、身体は元気なのに、脳が衰えていく、という場合もある。

 身体が衰えて、口だけ達者でうるさい老人も困るが、身体は元気なのに、物事が分からなくなって、元気なせいで徘徊されても困る。本人は、脳がしっかりしていると悩み苦しみ、脳が侵されていると呑気なものなのであろう。

 その脳の老化にも、脳の何処が衰えていくかによって、アルツハイマーかピックかの区別もあるのであろう。人間個人が、衰えていく部位を指定することなどできず、長生きする人は、何処か悪くなるのは間違いなく、それは何処かも分からなく、ただ覚悟しておかなければなるまい。

 近年、これが花粉症かという症状になっている。今年も、二月の半ばごろから、鼻水が出て、眼がしょぼしょぼして、喉も痛くなったりするのだが、熱もなく、風邪ではなさそうなのだ。病院には行かないので、本当のことは分からないが、きっと花粉症だろう。今ならば、杉花粉が原因の可能性が高い。

 花粉症というものは、やはり一種のアレルギー反応だろうが、若い時は大丈夫だったのが、年を取ってから症状が出てくるという人も多いらしい。英太もその一人かも知れないが、コップに徐々に水が溜まるように溢れ出して、花粉症になるのだとも言うが、真偽のほどは分からない。

 英太が困るのは、咳をすると頭痛がすることである。咳をすると、右側頭部が割れるように痛くなる。それは少しの間で治るのだが、これもはっきりしないが、近年、毎年この時期に、同じような症状があったような気がする。何しろ、一時の痛みであり、これも試練と我慢した。

 調べると、良性咳嗽性頭痛というものらしく、なる人はなるらしいが、ほとんど悪いものではないと言う。それでも痛いのだが、これも暫くすればなくなるのが毎年のことと心得る。

 誰かが、人は自然の利子で生きているのだ、と言ったらしいが、人は、人の窺い知れない自然の摂理から逃れることはできないのだろう。いくら健康に気を付けても、老いと病は避けられない。

  梅の香に 彷徨い歩く 猫の如

2015年   2月28日    崎谷英文


戦争への道

 このままだと日本は、どうやら、第二次世界大戦、太平洋戦争以前の状況に限りなく近づきそうである。イスラム国に日本人二人が人質となり、殺害されるなどして、世界は、イスラム国の暴力、テロに対して、暴力を持って対抗するしかないとして、それを日本も支援する。ウクライナでは、アメリカ、EUとロシアが背後に控えて、戦争状態が続いている。しかし、それにより、日本人の生活が大きく変わった訳ではない。

 満州事変が起った時も、日中戦争が始まった時も、日本人の生活に、それほどの変化は起きなかった。人々は通常の生活をしていた。これから、とんでもなく過酷で悲惨な戦争が続いていくことなど、大衆は予測していなかった。多くの日本人が、由らしむべし、知らしむべからず、と操作され、愛国心を煽られ、戦争を行なうことにも、ほとんど抵抗がないような精神に作られていた。

 報道機関が統制を受け、自由な発言が禁じられていても、日本国のため、日本人のためという建前によって、仕方のないことだと、ほとんどの日本人が思っていたのではないか。日本は強く偉大な国であり、日本こそが、世界を豊かにし平和にできるのだという傲慢な幻想を、大衆は植え付けられ、洗脳されていたのではないか。そして、いつの間にか、あれよあれよと、太平洋戦争に突入したのである。

 日本国の指導者、軍部の指導者たちが、私利私欲を持って、悪いことと知りながら戦争を起こしたのではないだろう。彼らは、侵略、植民地の支配、米英との戦争が、日本国のため、日本国民のためになるのだと信じていたのであろう。

 しかし、彼らは、間違っていたのである。彼らの行なおうとしたことは、周囲の他国の多くの人々を犠牲にし、多くの日本国民を犠牲にして、日本という国を、強い国に豊かな国にしようとしたのであり、所詮、邪悪な侵略行為だったのだ。

 志(こころざし)が、思惑が邪悪でなければ、結果の責任を負わなくていいのではない。彼らは、心情的には、悪いことをしていると思っているのではなかったが、しかし、悪いことをしたのである。それは、彼らが愚かだったからである。日本国の指導者たちが愚かであって、彼らに踊らされた日本国民も、また、愚かであった。悪いことと知らずに悪いことを行なっても、その愚かさこそ罪であり、責任は生じる。

 今、日本の愛国主義者たちは、過去の日本の過ちを美化しようとしている。反省と悔悟などしていられるかとばかり、日本人の誇りを取り戻すのだとばかり、過去を正当化しようとしている。

 今、日本政府は、日本を再び戦争のできる国にしようとしている。戦前と同じく、日本国を強くしようとして、国を強くするために、軍備を拡充し、戦争のできる国にし、世界に日本の力を示さなければならないのだ、と考える政治家たちが、今、日本の政治を行なっている。

 日本の安全のためだと言って、特定秘密保護法を制定し、ジャーナリスト、マスメディアを委縮させている。いざとなれば、この法律は何とでも運用ができ、報道を規制する準備を整えたのだ。

 積極的平和主義という消極的平和主義より耳障りの良い言葉を使って、武器輸出を解禁し、また、人道支援という名目で、世界の戦争に関与しようとしている。積極的とは、結局、世界の戦争に関わっていこうとすることなのだ。戦争放棄の平和主義とは、明らかに遠ざかるのが積極的平和主義なのである。

 戦前と同じく、敵を作り、愛国心を煽り、日本国民は一致団結しなければならないのだという風潮を作り上げようとしている。イスラム国は、都合のいい好敵国でもある。国民を管理し監視する名分もできる。戦争のできる国にするための布石が、着々と進められている。異論を唱えると、日本を愛していないのか、と言われ、非国民、売国奴などと呼ばれそうである。

 今の日本政府の人間たちも、その政策が日本国のため、日本国民のためになると思ってはいるのであろう。しかし、愚かな政策であり、愚かな国民を巻き込んでいく。私利私欲はないにしても、権力、権威への執着のなせる業か。

  線香の 灰付けジャガイモ 植うるなり

2015年   2月20日    崎谷英文


年を取って

 昔ならば、62才というのは、とんでもない老人だ、と思っていたと思うのだが、自分自身が、その年齢になってみると、さほど老人という気はしない。何しろ、70才、80才の人が、わんさといる世の中だから、62才などと言うのは、まだまだ、若造になるのかも知れない。

 英太が生まれたのは、1952年、昭和27年である。第二次世界大戦、太平洋戦争が終わり、戦後のベビーブームから少し遅れてこの世に生まれた。悲惨な戦争の後、日本国憲法が作られ、国民主権、基本的人権の尊重、戦争放棄を宣言した。戦後の混乱期から、朝鮮戦争による特需などで、日本は、復興への道を歩み始めた時であった。

 その頃の日本人の平均寿命は、50才位だったのではなかろうか。それが今では、80才を超える寿命にまで延びていて、昔、人生僅か50年、と謡ったのは、何のことやらさっぱり分からないような時代になってきた。いわゆる、企業の定年というものも、英太が覚えている最も初めの頃は、50才だったような気がする。それが、55才になり、60才になり、今は、65才になろうとしているのだから、世の中の変化は凄まじい。

 英太の家は、医院だったのだが、その頃、太市周辺に医院、病院のようなものは、ほとんどなかったのだが、今は、ちょっと行けば医院があり、病院があり、この医院が閉じてから、太市に医者はいなくなったのだが、いっこうに困ることはない。みんな、自動車に乗って、目当ての医院、病院に通っている。

 寿命が延びたせいなのだろうか、昔は、自宅で死を迎える人が、ほとんどだったように思う。英太の祖父も祖母も、この太市の家で息を引き取った。祖母は、英太が中学3年生の時、祖父は英太が高校1年生の時だった。しかし、今は、ほとんどの人が、何処かの病院で人生を終える。在宅で死ぬ人は少ない。

 何よりも、寿命が延びたことにより、介護の問題が大きくなってきている。昔、姥捨て山、というのがあったらしいが、70才を超えると、山の中に遺棄されるという慣習、掟のようなものがあったと言う。今、そんなことができるはずもなく、医学も発達し、死のうにも死ねないような状況で、病院で寝たきりのままの余生を長くしたり、痴呆になって子供に戻ったりする。

 老人介護施設、老人ホームなどがますます、その需要を高め、子供の世話より、老人の世話の方が大事な社会問題なのである。

 戦後のベビーブームの団塊の世代は、高度成長時代の流れの中で、都会に集まり、巨大団地の住人となり、企業戦士として、日本の成長を支えてきた。そのベビーブームの時は、一学年、200万人以上もいたであろうが、時代は変わり、今は、1年間の出生数が100万人を切ろうかという時代になっている。

 英太が物心ついた頃、太市の田んぼでは、牛が田んぼを鋤いていた。ほとんどの農家は、牛、一頭を飼い育てて、農耕に使っていた。英太も、時には、田植えもし、稲刈りも手伝ったりしていたものだ。それが今は、トラクター、田植え機、コンバインで、機械に乗ったまま農作業ができるようになり、人手も要らなくなった。それがまた、若者を、都会に送り込むことになったのだ。

 英太が生まれた頃から今まで、世の中の変遷は凄まじい。多分、社会は、文明の発達により進歩したのだろうが、その為に、何かを失ってきたように思えてならない。

 生きるために、精一杯に汗水垂らして働くということが、疎んじられていないだろうか。巨大に組織化され、管理された中で、ただマニュアルに従って仕事をするということに、生きるという充実感はあるのだろうか。顔色を見ることもなく、声も聞かず、筆跡も見ずコミュニケイトすることに違和感はないのだろうか。平和憲法が、日本人の安心をもたらしてきたと思うのだが、これからは、ひやひやしながら生きていくのではないか。

 62才にもなれば、若いつもりでいても、どこか抜けて来るようで、それも楽しい。

  この道を 辿れば春に なるのやら

2015年   2月15日    崎谷英文


ポトラの日記15

 朝、目が覚めると、畑は一面の霜に覆われていて、節分も過ぎ、暦の上では春になったというのに、寒くて堪らない。ガレージの前の稲わらを敷き詰めた発泡スチロールの箱の寝床を抜け出すのが辛くなる。しかし、相棒もそろそろ目覚める頃で、僕の朝食が待っている。寝床を出て、欠伸をしながら大きく伸びをして、縁側を見遣ると、ちょうど、相棒が障子を開けて、朝の光を取り込んでいる。

 相棒は、いつも夜遅くまでやくざな仕事をしていて、普通の飼い猫ならとっくにぐっすりと眠っているような時に帰ってくるのだが、僕は、半分うとうとしながらも、天気の良い夜は、寝床の中から、冬の銀河を眺めて相棒の帰りを待っている。冬の夜は冷たく、空も凍りそうなのだが、星は綺麗だ。

 相棒の車のヘッドライトが近づき、ガレージのシャッターが大きく音を立てて開けられていく。僕は急いで寝床から飛び出し、ガレージの戸の前で相棒を待つ。今から、夜食を食べるのだ。母のダラが、もうとっくに待っていて、一緒に食べる。兄のウトラは、決まって夜は食べに来ない。その代り、朝と昼には、僕の分も横取りして、たらふく食っている。

 人間という生き物は、この地球上の生物の誕生から、どんどん進化していき、僕たち猫などをとっくに追い越して、文化やら文明とかやらを発達させて、今に至っているという。しかし、人間たちは、本当に進化していると言えるのだろうか。人間たちは、ずっと昔から戦争ばかりしていて、今もまた、醜い戦争をしているようだ。

 僕たち猫も、喧嘩はする。食べ物を争って取り合いになって喧嘩をすることがある。しかし、人間のように恨みを持って、報復するようなことはしない。喧嘩をしても、その時限りで、次の日には、仲直りすることが多い。あいつは、悪い奴だから懲らしめてやっつけるしかない、などと思ったりしない。

 人間は、僕たち猫よりは、少しは頭が良いらしいが、何かいびつに頭が良くなっているだけかもしれない。頭が良くなって、欲望が溢れ返っている。お腹が一杯になっても、まだもっと食べたいと思うようで、また、頭が良いから、その欲望の満たし方が上手くなる。道具を作り、機械を作り、楽をして、便利になって、自分の脚で歩かなくとも遠くまで行けるようになって、どんどん欲望は広がっていく。

 僕たち猫は、人間ほど賢くはなく進化もしていないのかも知れないが、そんな贅沢は望まない。冷たい冬の大地の下で、じっと我慢して春を待つ雑草の芽を見つけ、白っぽかった山々が、微かに緑を帯びて輝き始めるのを眺め、春泥に足を取られながら歩く時、僕は何故かうきうきしてくる。相棒が春を待って、畑を耕せば、小鳥たちが餌を探して、耕した後を嘴で突いている。

 進化というものは、自然淘汰、弱肉強食の理屈ではないのだと思う。敵者生存というのは、強い者が生き残っていく、というのではないと思う。あまりに強い者たちは、生き残っていきながらも、孤独で寂しくなっていくのではないか。そんな生き方は、僕は嫌だ。みんなで仲良く生きていきたいと思うし、結局、進化というものは、強い者たちが生き残るのではなく、優しい者たちこそが、生き残っていくのだと思う。

 だから、報復はしない。報復をすれば、また、報復される。乱暴な者たちもいるが、彼らには彼らの悲しみがあるのだと思う。彼らの心根もきっと優しいはずなのだ。

 人間は、頭が良いはずなのに、ずっとずっと戦争をし続けている。一時、余りに悲惨な戦争を経験し、もう二度と戦争をしないと誓ったはずなのに、今、また戦争をしようとしている。どうやら、頭が良いということは、みんな仲良く暮らしていくということには、繋がらないようだ。

 相棒が硝子戸をあけて、僕とダラに朝の挨拶をする。朝食の皿に、相棒が食べる物を入れてくれ、僕とダラは一緒に食べる。朝寝坊のウトラは、いつも遅れてくる。兄が来る前に食べないと、と思うが、兄のために残してやろう、とも思う。

 朝の冷たさが、ゆっくりとほどけていく。今日は、いい天気になりそうだ。

  空白し 名のみの春の 朝の霜

2015年   2月8日    崎谷英文


正しいと善

 正しい行ないということと善である行ないということとは、異なっているらしい。善ではないが正しいということはありそうで、罪にはならないが恥ずかしい行ないというものはありそうだ。

 正しい法律というものがあるのかどうか難しいが、あるとして、その正しい法律に反しない限り、人は自由であり、手続上法律に則り、他人に危害を及ぼさない限りにおいて、人が自由にふるまうことは、正しいのであろう。

 しかし、法律に反せず正しくふるまったとしても、その行ないが善であるかどうかは、別問題であろう。

 近代からの自由主義は、人々に自由を保障し、自由な人々のふるまいによって、究極的に、善なる社会が導かれると考えた。人々の飽くなき欲望を解放しながらも、利益追求、損得計算をする合理的生活が、結局は、社会を妥当な所に落ち着かせると考えた。

 人々にとって、必要なもの、優れた製品、美味しい食べ物は、それなりに評価され、それなりの需要をもたらして、それなりの価格によって取引されるのが相応しいのであるが、自由な競争取引によって、需要と供給の交差し一致する地点でその価格は落ち着き、誰もが、大損も大儲けもしない妥当な経済社会になるはずだと考えた。

 しかし、もし、人々にとって有益で、有用な製品というものが、一人の人に独占的にその生産が集中されていて、他の人が生産できないとしたら、もはや、自由な競争において、適当な価格に落ち着くことなく、その生産者は、利益を最大限に見込んで売りつけることができる。

 一人が独占的に生産していなくとも、数人の限られた生産者が約束をして、価格協定により高値販売の共謀をすれば、人々はその高値でしかその製品を買うしかない。自由の限界が、そこに現れているのだが、もし、独占禁止法というものがなければ、独占的製品の価格が正しいものとして世の中に通用してしまう。隠れた協定を監視し、摘発するのが、公正取引委員会である。

 近代以前の社会においては、生産資本、特にその土地ということになるが、それは、少数の者に独占的に所有され、土地を所有しない者たちは、土地の所有者たちの雇われ人として、あるいは、土地を借り、年貢を納める小作人として生計を立てるしかなかった。裕福な貴族や富者たちは、働かずして、他人を働かせることによって、豊かな生活をしていたのである。

 近代に至り、民主革命は、貴族、富者たちの特権、既得権というものを奪い、資本の分散、分配を促し、国民が主権者となる国民国家を作り、万人が自由で平等な社会を作ろうとした。日本で言えば、第二次世界大戦後の財閥解体、農地改革などにあたる。

 昔の貴族たち、裕福な資産家たちは、正しくなかったのかと言えば、一概に正しくなかったとは言えないであろう。彼らは、その時代のその社会の仕組み以外知らなかったのであり、ただ伝統的規律にしたがって生きていたのであり、自分たちは、正しく生きていると思っていたであろう。

 しかし、彼らの生き方が、善であるかどうかは別問題であろう。身分の差があり、生活の格差がある社会に、ただ伝統的地位と富とを受け継いで、強者であり富者であるままに、一方弱者であり貧者であるままに生きる人々を働かせて、自らは働かず生きていくことは、善ではあるまい。

 このような仕組みに耐え切れなくなって、革命というものも起こるのであろうが、差別、というものに気付かないままに秩序が保たれてきた前近代から、万人の根源的自由と平等に目覚めたはずの現代であるが、今、再び、身分制社会に逆戻りしそうな様相である。自由という名において、富はますます偏在していきそうだ。

 法に従い自由に生きることは正しくとも、富を独占することは、善ではない。罪にはならずとも恥を知らねばならない。いや、やはり、罪か。

  隠れたる いのち落ち葉の 下にあり

2015年   1月31日    崎谷英文


進化と道徳

 人はサルから進化したと言われる。生物の始まりから進化して、やがて類人猿が登場し、ヒト科が誕生した。現代の生物学的解明において、類人猿の祖先から、オランウータンが枝分かれし、次にゴリラが枝分かれし、さらにチンパンジーとボノボが枝分かれして、一方にヒト科が独立していったと言われる。人に最も近いのは、チンパンジーとボノボである。

 動物、特に哺乳動物は、その個体の生存と世代を越えた種の保存とを目的として持ち、そこに食欲と性欲の源もある。それぞれの動物たちは、個体として、共同体として、種として、生き残る生活スタイルを確立させていくように、進化してきたと言える。

 限られた大地の恵みを分かち合うために、森林と草原との住み分けをし、生き延びるために、昼行性と夜行性の動物に分かれていく。ヒョウのように木に登るものもあれば、ライオンのように木に登れないものもある。これも、互いに領分を守る住み分けであろう。

 ゾウのように大きくない草食動物たちは、その個体数を増やし、群れとなって共同生活をし、たとえ、肉食動物たちに襲われたとしても、被害を最小限にして生き延びようとした。肉食動物では、成長すれば単独で生きていくものもあれば、家族で生活するものもある。これも、それぞれの生き延びるための、進化なのだろう。

 自然の中で生きていくということは、自然との闘いである。自然の脅威と闘いながら、他の生き物との生存競争に勝っていくことが、生き残れる道となる。長い生存競争の末に、現在、数多の生き物がこの世に生存している。多くの種が絶滅していく中で、自然淘汰され、適者生存の理に適ったものたちが、今、生き残っている。

 そして、今、生き残っているものたちは、また、他の生き物たちと共生していることも確かだろう。食べ尽くしてしまえば、食料はなくなるのであり、その時は、満腹して満足かもしれないが、それでは、明日は食べていけない。生き残る動物たちは、そのようなことは意識していないが、結局は、他の生き物との共存、共生の理に適ったものとして生きている。

 ボノボやチンパンジーたちが、人のような明確な自意識を持っているのかどうかは知らないが、彼らは、自分たちの共存、共生を図りながら共同生活をしている。共同体の中で、チンパンジーは、オスの力が強く、ボノボはメスの力も相当強いなど、共同生活の在り方は異なるが、それぞれ共に生きながらえていくための秩序を持っている。

 共同体として生きていくためには、食料はひとり占めにしてはならない。共同体としての個体数が減ることは、食料を得る能力においても、子孫を作る能力においても痛手となる。量的、質的に共同体を維持していくことが重要なのである。仲間を助けることは大事なことであり、ボスが食料をひとり占めにしようとすれば、追放されたりもする。

 アフリカのピグミー族は、狩猟民族で共同生活をしているが、彼らは、当然のことのように獲物を分け合う。そこには、互酬性の感覚もなく、獲物を捕らえた者は褒められることもなく、威張ってもいけないとされるそうだ。誰が手に入れた物であろうが、平等に分かち合う。どんなに強い者でも、獲物を独占しようとすれば、仲間から批難され、追放されたりする。

 このように、共同体が平等に分かち合っていくことで存続していくとき、共生に適した者たちが生き残っていき、強欲な輩、ずるい輩は排除されていく。強欲でずるい者たちは、子孫を残すことができず、結局、心優しき者たちが生き残ることになる。共生に適した者たちは、その蓄積により、共感する心、同情する心を獲得し、道徳的内面を持つようになったのか。

 道徳的に恥ずかしいとき、赤面するのは人間だけだという。寛容なる精神も、また生まれた。

 しかし、現代は、排除されるべき悪者たちが生き残っているかのようである。隠されたはずの自己中心的精神が跋扈し、共生の心、共感の心はなくなり、強欲にひとり占めしようとする輩が増え続けている。恥を知らなくなった。

  恥知らぬ 世を佇みて 冬木立

2015年   1月25日    崎谷英文


格差社会

 例えば、ある国の年間国民総所得に関し、国民の個人所得額の上位10%の人が、国民総所得の50%を占めているとしたら、その上位10%の人は、国民全員が平等に所得を分け得ているとした場合の5倍の所得を得ていることになる。下位50%の人が、国民総所得の20%しか得ていないとしたら、平等平均と比べ、0.4倍しか得ていないことになる。上位10%は、下位50%の12.5倍の所得ということになる。

 細かく分けて、上位1%の人が、国民総所得の20%を得ているとしたら、平等平均の20倍、下位50%の人の50倍の所得を得ていることになる。下位の人を細かく分けて、下位10%の人が、国民総所得の2%しか得ていないとしたら、上位10%の人は、下位10%の人の25倍の所得になり、上位1%の人は、下位10%の人の100倍の所得を得ていることになる。

 これらのことは、今のアメリカ、日本にほぼ当て嵌まる。実は、さらに高額所得を得ている上位0.1%の人がいる。

 極めて簡単な数学計算である。10%の人が国民総所得の10%を得るのが、平等平均であり、10%が50%を得ると、平等平均の5倍、10%が2%しか得ていないとしたら、平均の0.2倍しか得ていないことになり、その上位10%と下位10%とは、5÷0.2=25で、25倍の格差ということになる。

 経済格差というものは、単に、全平均と比べるだけでは分からない。上位と下位、最上層と最下層とを比べてこそ、その国の経済状況の健全さを計り知ることができる。

 今、フランスの経済学者、トマ・ピケティの書いた、「21世紀の資本」という本が話題になっている。アメリカ、フランス、イギリスさらに日本も含め、その経済格差の状況、推移を、過去200年以上に渡る膨大な資料を集め、読み解いたもので、格差の現状、その原因と将来への対策などを述べたものになっている。

 ピケティは、資本と労働所得とを分析する。資本とは、不動産、金融資産(貯蓄、株式など)、工場、機械などで、労働者の勤労価値を含まない。この資本も収益を上げる。企業利益、地代、利子、配当金などが、資本からの所得になる。

 この資本からの収益率は、4〜5%になるのに対し、経済成長率は、1〜2%にとどまっている。資本は、国民所得の6〜7倍ほどになり、資本の生み出す所得は、国民所得の30%ほどにもなろうか。

 この資本からの収益は、不労所得である。汗水垂らして働いて手に入れた所得ではない。この資本収益率をγとし、経済成長率をgとするとき、例外的な場合を除いて、γ>gという式が成り立つ、というのがピケティの言うところの要点となる。資本収益率が高ければ、持てる者の資本は減らず、ますます蓄積されていき、資本を持つ者と持たざる者との格差は、広がるばかりとなる。

 更に、現代においては、大企業の社長、CEO,幹部たちの高額報酬が、世界基準だとか、これこそ夢ある自由世界なのだとか言って、まかり通っている。しかし、彼らと底辺で働く労働者とは、それほど能力の差があるのだろうか。能力主義、メリトクラシーの社会と言われるが、年10億円の報酬を得る者と年300万円の給料の者とに、それだけの価値の差があろうか。高額報酬が、また資本に繋がる。

 高額所得者たちは、また政治の世界に介入し、自分たちの利益を守ろうとする。彼らは、底辺の人たちを見ているのか見ていないのか、時に偽善的に救いの手を差し伸べるふりをして、自らの利益、立場を守ろうとしている。いっとき、所得税の累進税率は、最高で75%にもなっていたのが、今は、40%程度の低さである。これらのことも、格差の固定、更なる格差の原因だろう。

 ピケティの言っていることの、ごく一部であるが、不条理なまでの格差が、このまま続くことは、社会の崩壊を導くのではないかと思われる。

 強欲で傲慢な者たちが支配する世界を、本当は誰も望んでいないはずだ。目覚めよう。

  凍てついて 天地鎮まる 朝かな

2015年   1月18日    崎谷英文


初夢

 太市の里に春の陽射しが眩しくて、時折、白い雲がゆっくり流れていくのを見ながら、おじいさんが、せっせと畑を耕している。小さな耕運機だが、小さな畑を耕すのには充分である。後で、少し鍬で手を入れる。おばあさんが、乳母車を押しながらやってきて、おじいさんに朝御飯ができたことを告げる。蝶が舞っている。

 太市には、小さな養鶏場と小さな牧場があり、、鶏と牛と豚が放し飼いの中で、元気に走り回っている。彼らたちの排出したものと山の落ち葉と雑草を堆肥にして田や畑の肥料にする。後少し経つと、筍の季節になる。竹藪を整理して、竹を適当に間引きしなければならないのだが、それを利用したビニールハウスも所々に見える。余った竹は、細かくチップにして、それも肥料にする。

 筍の季節が終わると、田んぼの準備になる。村に戻ってきた若者たちが交互にトラクターに乗って、みんなの田んぼを順番に鋤いていく。若者たちは、週三日、出稼ぎとして、外国の会社に通勤している。それぞれの得意分野を生かして、働いている。室津の港まで行って、漁師をしている者もいれば、最先端のコンピューター管理業務に従事している者もいる。

 朝の8時、子供たちが一斉に登校する。太市には、小学校はもちろん、中学校、高校、大学まである。太市の人たちは、みんな賢くて、語学はもちろん、宇宙の始まりから、地球の歴史、生命の誕生、あらゆる生き物との共生で成り立つ自然、その中でこそ生きていくことのできる人間であることの理解、数学のパズルのような面白さなど、それぞれを、太市の大人たち、おじいさん、おばあさん、お母さん、みんなで分担して教えている。

 太市には、小さな総合病院があり、介護施設もある。介護施設には、保育園も併設されていて、おじいちゃん、おばあちゃんたちと、子供たちが、一緒に遊んでいる。外国で学んで医者や看護師になって帰ってきた数十人の若者たちが、病院で働いている。産婦人科では、いつも赤ちゃんの泣き声がする。

 田植えの時は、田植え機を使って田植えをする人もいるが、大人数で手植えをしている所もある。菅笠を被り、裸足になって、横にずらりと並んだ早乙女たちが、一斉に田植えをしていく。泥の中のドジョウやタガメを見ながら植えていく。

 山の麓には、日当たりの良い所で、隠れるように、太陽光発電のパネルが見える。人口が増えて、5000人程になってはいるが、電気は間に合う。関西電力の電気は要らない。電気エネルギーの代わりに、薪や炭がある。四方を山に囲まれた太市には、有り余る木が存在している。村では薪を作り、炭を焼いている。それぞれの家には、昔ながらのかまどが蘇り、火鉢が部屋の中に復活している。

 空き巣やどろぼうは、太市にはいないから、夏も障子を開け放して、蚊帳を吊って寝ている。虫の声を聞きながら、遠くの山の中の動物たちの遠吠えを聴きながら、子供たちは夢を見る。

 20××年、太市は独立した。独立したからと言って、外国からの出入り、行き来は自由である。太市は、いざとなっても、自給自足で生きていける。

 赤ちゃんから、子供、若者、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんまで、みんなで助け合って生きている。だからと言って、不自由なのではない。若者たちは、自由に世界に飛び立てばいい。それでも、多くが太市に帰ってくる。山や川は、美しく、シカやイノシシやタヌキやウサギたちも、自然の恵みの中で生きている。空には、白鷺が舞い、トンビの小次郎が輪を描き、枯れ木で鴉が啼く。

 数十年前、世界は虚構の繁栄の中で、格差が増大し、まるで昔の身分制社会のようになり、自由にものが言えなくなり、宗教対立、人種対立も深まり、小さな戦争が大きな戦争になり、日本も戦争に巻き込まれていった。そんな時、太市は、独立した。今、太市は、平和だ。

 おじいさんとおばあさんが、縁側に座って仲良くお茶を飲んでいる。春はうららかである。

 目が覚めた。

  初夢や 目覚めることの 惜しかりし

2015年   1月10日    崎谷英文


正月

 我が家の雑煮は、味噌仕立てで、円い大根と白菜に油揚げが入っている。家庭円満に、代々(大根)名(菜)を上げ(揚げ)る、と洒落ているのだ。揚げのないときは、菜を持ち上げて食べる。黒豆、カズノコ、田作りなどの洒落尽くしのお節料理が並び、正月の挨拶をして、屠蘇を飲み、餅を二つ食べる。いつもの正月である。

 新聞を読み、年賀状をチェックして、昼前に初詣を兼ねて、車で、親子三人で出る。いつもの正月である。今年は、先ず、目の前の破版神社から。その後、昼食を食べるのだが、これもいつもの、国道2号線の龍野の先のドライブインである。そこで各自好きなものを食べ、ちょっとした土産を購入する。

 龍野駅の東の揖保川町に、檀那寺がある。毎年、正月に参ることにしている。その寺は、今は、90才に近い先代の奥さんがいて、孫である住職と二人で、普段は住んでいる。今日は、その住職の両親たちもいる。浄土真宗の寺である。

 その寺は、以前、二男が住職として跡を継ぐことになっていたのだが、彼は40才を過ぎた頃、ちょうど英太が太市に帰って来てから5・6年後の頃だったろうか、急死してしまった。彼は、その寺の隣で学習塾もやっていて、英太ととても親しかったのだが、突然の死であった。結婚はしていたのだが、子供はなかった。

 先代とその奥さんの嘆き悲しみようは、切ない限りだったが、大阪に出ていた長男の息子が、僧侶になると言って帰ってきたのである。英太の息子と同年であった。大学に入り僧侶となったのだが、その先代も、数年の患いの後、亡くなり、今は、おばあちゃんと二人で、その寺に住んでいる。

 浄土真宗は易行の宗派である。念仏をすることにより、成仏できるとする。では、念仏さえしていればいいのかと言うと、そうでもなさそうで、やはり信じていなければならないのだろう。では、信じているだけでいいではないか、念仏などしなくてもいいのではないか、などと思ったりするのだが、それもやはりよくないらしい。信じていれば、自然と念仏を唱えることになるのだと言う。

 この世には、様々な宗教がある。キリスト教があり、イスラム教があり、その他にもいろいろな宗教があり、また、それぞれの宗教にも様々な宗派がある。この宗教、この宗派でなければ駄目だと言う教条主義的、排他的な宗教、宗派もあるのだろうが、一般的には、キリスト教徒は救われないと仏教の僧が言うこともなければ、仏教徒は救われないとキリスト教の牧師も言わないだろう。宗教会議は友好的である。

 だとすれば、宗教とは何なのか。信じる者こそ救われる、と言うだけなら、鰯の頭も信心からで、何でも信じていればいいのではないかとならないか。浄土真宗においては、善人なおもて往生す、いわんや悪人をや、と言うぐらいだから、そうなるともう誰もかれもが救われるとしたらよくないのか。そうなると、宗教というものは、精神安定剤のようなものになってしまうのか。などと考えながら、寺を出た。

 妻の母の入っている老人介護ホームに行く。妻の母は、もう15年以上そこに入っていて、手足はほとんど動かず寝たきりで、声も小さな声しか出ないのだが、頭はしっかりしている。妻は、週に一度、訪問しているが、英太と息子は年に一度か二度訪ねる。正月に訪れるのも、いつものことである。今日は、インフルエンザの心配もあり、玄関先まで運ばれてきた母との面会であった。

 英太の両親は早くに亡くなっているが、英太の年代の親たちは、多く90才に近くなり、友人たちは、親の介護に苦労している。長生きすることは目出度いことで、親が長生きしてくれて、嬉しくないはずはない。しかし、今や、老人が老人を介護する時代となり、故郷に親を残して遠くに出ている子供にとっては親の介護は大変である。

 子供叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ、と言う言葉があるが、今介護している者も、何時介護される立場になるか分からない。

 正月は、目出度くもあり、冥土の旅の一里塚でもあり、無常を思わせる。雪が降ってきた。

  右に揺れ 左に揺れて 雪見酒

2015年   1月4日    崎谷英文


仙人の戯言

 自由は実は、苦しいのである。
自分自身で判断し、自分自身で責任を持つ
これは実に大変なことである。
勉強するのは、この考えること、判断すること
責任をもつことの前提としてある。